2013年5月29日水曜日

「バター」バンザイ

1000年以上前、貴族の食卓に上がる前までは「野蛮人の食べ物」と言われていたそうである。

バターのことだ。

知らなかった。あの偉大なるバターにそんんな歴史があったとはビックリだ。

1000年以上前なら私も大いに野蛮人である。確かに、「バター」という響きにはどことなく禁断の響きがある。

成人病予備軍だからそう感じるのだろうか。でも、バターと聞くと、なんとなく淫靡で後ろめたいことを想像してしまう。

野蛮人である私は、時に無性にバターが恋しくなる。あの香り、あのエロティックな味わい。許されるなら毎日、醤油とかニンニクを加えた炒め汁を舐めていたいと思う。

ウィキペディアによると、わが国では、明治になって外国人のためにバター作りを始めたが、初期の頃は、一般庶民は匂いを嗅いだだけでゲロ爆発モードになっていたという。

そんな話はさておき、今日は「寿司屋でバター」という邪道の極みみたいな話を書く。

いつもワガママオーダーに応じてくれるから、ちょくちょく出かける高田馬場の鮨源には申し訳ない気持ちでいっぱいである。でも、毎度毎度そういうわがままを言うわけではない。普段はまあまあ普通に食べている。

この日も普通にしおらしく過ごしていたのだが、目に前のネタケースに待機しているホタルイカ軍団が私にささやく。

「私のハラワタを味わったらど~よ~」。

かなりしつこく誘われたので、食べることにする。いつもはニンニク醤油で付け焼きにしてもらって焼酎の肴にするのだが、この日は「ニンニクバター炒めでお願いします」と禁断のフレーズを口にしてしまった。


で、やって来たのがこの画像の一品。贅沢なことにトッピングのようにニンニクバターの塊も乗っかっている。

ホクホクのホタルイカの熱で溶けていくニンニクバター。脂っぽい汁をまとったホタルイカはまさに官能的な味である。

皿に残った「脂汁」に旨みが凝縮しているから、舐め舐めしたいところをこらえて大事に温存する。


そして第二弾バター攻撃がやってきた。生ガキのニンニクバター焼きである。ほころぶ私の顔もすっかりアブラギッシュだ。コレステロールだ、高脂血症だ、そんな課題は一時的に封印する。ウマい料理を前に健康だのヘチマだの言ってる場合ではない。

カキのエキスがたっぷりの「脂汁」が皿に残った。ぐびぐび飲み干したかったが、グっとこらえて温存する。

大人が大人である理由はただひとつ。「グっとこらえる」。これに尽きる。

おかげで二種類の「スーパーニンニクバター脂汁」が私の手元に用意されることになった。大人である。アダルティ~である。

大人だから、あらかじめ「冷静に次なる戦略」を練っていたわけだ。ここからが本当の邪道である。

「蛇の道は蛇」ならぬ「邪の道はバターである」。


寿司飯に二種類の「スーパーゴールデン脂汁」を加えて炒めてもらった。禁じ手というか、反則負けみたいな話だが、逆立ちしたってマズいはずがない。絶品極まりない味だった。

この一握りの米達も、寿司飯として完成した後に、まさかニンニクバター汁でベチョベチョ炒められてしまうとは夢にも思わなかっただろう。

「ホタルイカとカキのエキスぶりぶりのガーリックバターソースの寿司飯チャーハン」である。

寿司飯のわずかな酸味がベタベタした味わいになりがちな部分を微妙に引き締める。バンザイ三唱みたいな気分になった。

そもそもワガママな一品を作ってもらった後ろめたさ、邪道なものに驚喜したい気持ちを抑えようとする自制心、上等な普通の寿司を前にして脇道にそれてしまう恥ずかしさ、でも単純明快に口の中が幸福で満たされる気分。。。いろんな感情が混ざり合って卒倒しそうな時間だった。

大げさだが、そんな感じだった。

すべての道はローマに通じるらしいが、この日のすべての源はバターである。

バターさまさまである。バターバンザイである。

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