2015年4月27日月曜日

転居の気分


引っ越し先がようやく決まった。文京区の小石川エリアにある低層マンションである。

新築の分譲マンションなのだが、おそらく投資目的で買った人が早々に賃貸に回したのだろう。

まだオーナーへの引き渡し前ということで中も見ていないのに決めてきた。図面とニラメッコして決めた。希望に近い間取りだし、設備も新品だから問題なさそうである。

最寄りの駅からは緑の多い公園を遊歩道代わりに使える点が気に入った。マンションのすぐそばにも大きな植物園がある。

蝉の声、秋の虫の声を聞きながら散歩することに妙な執着心がある私にとっては良い環境である。

高層マンションには興味が無かったので低層に絞って探した。20階とか30階とかからの眺めは凄いのだろうが、そんなに高いところで生活するのは恐くて仕方がない。

地に足が付いていない感覚と言うべきか。こういうところは超アナログ人間になってしまう。

高層マンションの低層階でもよかったのだが、聞くところによるとあの世界はヘンテコなヒエラルキーも存在するらしい。

エレベーターに乗って低層階のボタンを押すと乗り合わせた高層階の住民が舌打ちするとか。ジェジェジェである。

まあ、大げさな例えなのだろうが、そんなアホみたいな空気の中で暮らすのはイヤだ。

そこそこ高級感があって設備も充実した低層マンションは、閑静な住宅地にあることが多い。今度のマンションも一種住専エリアだ。ある意味これが問題である。まわりに何もない。

シングルオジサマとして気ままに暮らす私にとって、閑静な住宅地という環境はかえって厄介なのではないか。

たとえば神楽坂あたりの繁華街に近いマンションに住んで、夜な夜な寿司屋とか焼鳥屋とかバーなどをさまようほうが正しいのではないか。

結論が出ないそんな課題に日々悩みながら物件探しをしたわけだ。

結果として、周辺の環境が以前から好みだったことと、年齢的なことを考えると努力して散歩に励まねばならない年頃なので坂道に囲まれているその物件に決めた。

ついでにいえば、そのマンションの見た目が結構カッチョよかったので、時々遊びに来る娘にエエ格好しい出来ると思ったことも理由である。

一応、申し込みは完了したが、5月末まで実際の現場が見られないし、入居前にキャンセルすることも出来なくはない。

というわけで、いまだに他の物件情報もチェックしている。でも、総合的に考えると決めてきたマンションを上回る物件はなかなか出てこないように思う。

6月初旬に引っ越し予定だ。メンドーだがワクワク感もある。今の住まいに移った経緯を思い返すとなかなか感慨深い。

今の住まいは、どちらかといえばバタバタした感じで決めた。シングルオジサマとして人生の舵を切り直した際に暮らし始めたから、引っ越しの作業も複雑な気分でこなした。

前の自宅は設計段階から細かく関わって家族で住んでいた。そこから自分の持ち物だけを選別して引っ越ししたわけだからそれなりに感傷的になった。

その道を選択した決断自体に迷いはちっとも無かったのだが、細かい作業を進めているとさすがにシンミリした気分になった。

持っていくモノ、置いていくモノ、処分するモノ・・・。いちいち色んな記憶が頭をよぎる。なんだかドンヨリした気分でコトを進めた。

引っ越し業者さんだって転居の意味をすぐに察知してどこかハレモノに触るかのような態度で接してきた。

それに比べて今回の引っ越しは「憂いゼロ」だから助かる。前回揃えた家具をそのまま移動すればいいし、前回引っ越してから結局一度も開けていない段ボールの中味は捨てていいと判断できるし、思った以上にスッキリするはずだ。

引っ越し先のマンションは常駐のコンシェルジュがクリーニングの取り次ぎなんかもやってくれるらしい。「モノグサシングルオジサマの道」を極めるには良さそうである。

さてさて新しい住まいは私にどんな思い出をもたらすのだろう。今度の住まいからまた次の引っ越しをする時は自分の身にどんな環境の変化が起きているのだろう。

そんなことをボーっと考えていると、いつの間にか将来展望が予測できない生き方をしていることを痛感する。

いい年をしてそれも悪くない。人生いろいろ。出たとこ勝負である。

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