2017年9月13日水曜日

クルマと色気


運転免許を取ってから気付けば30年以上が過ぎた。なんだかビックリである。「気づいたらウン十年」みたいな話がやたらと多くなった。

まあいいか。

先日、クルマを乗り換えた。まだまだ色気のあるクルマに乗りたいと思うのだから私も現役バリバリである。

家庭持ちではないので、ファミリーカーを選ぶ必要はない。この3年ぐらいも2ドアのスポーツタイプのクルマに乗っていた。


今回乗り換えたクルマの外装色は黒である。私を取り巻くすべてのことが「黒字」であって欲しいという願いを込めた。ウソです。

中は画像のようにシャレオツな色である。誰を乗せるわけでも無いのに、ついつい「色っぽさ」を求めてしまう。

これまで何だかんだで20台ぐらいのクルマに乗ってきた。アマノジャクな私としては、街でやたらと見かけるようなクルマは苦手だ。

その昔、「ソアラ」が流行った時はあえて「レパード」を選んだし、”四駆乗り”を趣味にしていたときも「パジェロ」ではなく「サファリ」だった。

ベンツやBMWの素晴らしさも分かるが、どうせだったらジャガーに魅せられる。少しだけズラしたくなる感覚とでもいおうか。

いずれは自動運転が普通になる時代が来るらしいが、30年以上も運転していると技術の進歩にはいちいち驚かされる。

私が運転を始めた頃はフェンダーミラーからドアミラーに変わった頃だ。ナビなんて夢の世界だったし、カーオーディオもカセットテープだった。隔世の感がある。

今は機械式車庫の上り下りだけで、盗難防止装置が作動しちゃうし、音楽なんて無限の曲数をドライブのお供にできる。

先日久しぶりにカー用品店のオートバックスに出かけたのだが、昔とは大違いだった。置いてあるモノがアナログな私にはよく分からないし、だいたい週末なのに混雑していないのが不思議だった。

30年前は若者のクルマ熱が凄いことになっていたから、カー用品店もテーマパーク的に賑わっていた。時代が様変わりしたことを実感する。

思えば、ここ10年ぐらい「ねえねえ、どんなクルマ乗ってるの~?」と尋ねられたことはない。その昔は若者の会話の多くがクルマに関する話題だった。

クルマ熱が昔ほどじゃなくなったことでケッタイな「クルマ・ヒエラルキー」みたいな話が聞かれなくなったのは悪いことではない。

かつてはクルマの名前だけでなく、同じクルマでもラインナップごとの”車格”によって優劣が語られるような風潮が今より遙かに強かった。

もう20年以上前だが、アメリカのジープ・ラングラーにハマったのだが、あれもクルマ・ヒエラルキーの外側にいるような解放感?が理由だったのかもしれない。

時々、あてもなくドライブする。好きな音楽を爆音で聴きながら走ると気分転換になる。

高速だったら爆音プラス熱唱である。世の中で高速走行中のクルマの中ほど大声で歌える場所はない。

カラオケボックスもいいが、しょせんあれはマイク越しである。生声大熱唱は高速運転中のドライバーの特権だろう。

英語の歌をカラオケボックスで歌うと、画面に表示される英語のせいで自分の歌のデタラメぶりに暗澹たる気分になるが、クルマの中は自由である。

歌の合間合間に♪ワッキャナドゥーベイベー♪などと意味不明の叫びを混ぜてもOKである。

以前はドライブデートなどと洒落込んだこともあったが、今はそんな機会も激減した。女性が助手席に乗るといろいろとモヤモヤするからそれで結構である。


昔と違ってちょこっとでも酒を飲んだらクルマを運転してはいけない。もはやデートのためにはクルマはメンドーな存在になってしまったのかもしれない。

昔の大らかさが懐かしいが、逆にいえばあの時代はかなり危ない時代だった。ある時期から飲酒、酒気帯びに厳罰が科せられるようになったのは極めて正しいと思う。

そんなわけで、クルマを換えたところで助手席は空いたままブイブイ言っている私である。

ついでに私が大好きなハマショー師匠の名曲「サイドシートの影」の歌詞を載せる。
来年あたり自分のライブでパクろうと考えている。

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海が見えたら起こしてあげるから
もう少し眠りなよ ラジオを消して
サイドシートに話し掛けてみる
そこには誰もいないのに

隠れ家のような仕事を片付けて
醒めたイルミネーション 照り返す街に
眩しい笑顔と一夜の慰めを
今夜も探してる ゲームのように

曖昧な痛みが押し寄せ去ってゆく
真夜中の通りを海へと走ってく
カーラジオ繰り返す無機質なビート
まるで僕の鼓動のように

誰かの腕に抱かれて眠りたい
何も奪わぬ恋に落ちて

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