2023年3月13日月曜日

SNSなかりせば

 

SNSをめぐる騒動はあらゆるジャンルで起きている。これも時代の象徴だ。インスタやツイッターなどに躍起になっている人をつい小馬鹿にしてしまう私だが、考えてみればSNSには随分お世話になっている。

 

もしこの世にSNSが無かったとしたら今の私の日常は違ったものになっていたはずだ。もっと有難がるべきだろう。

 

私が若い頃はインターネットなど存在しなかったから連絡手段は電話ぐらいだった。でもそれしかないから不便を感じることはなかった。

 

不便じゃなかったものの考えてみれば世界が凄く狭かった気もする。当然親しい間柄の人としか電話はしないし、それにしたって用事が無ければ音沙汰なしが普通だった。

 

今はFacebookLINEグループなどのおかげでさほど親しくない人とでも簡単に繋がるし、たいした用事が無くても何となくお互いの近況が分かる。

 

直接やり取りしていなくても「アイツ、事故に遭って大変だったみたいだな」「アイツの息子が結婚したらしいぞ」みたいな四方山話に触れることは多い。

 

人付き合いがマメなほうではない私のことだからSNSとも無縁のままでいたら一種の情報難民みたいになっていたと思う。

 

十数年前に友人にFacebookに誘われ最初は渋々イジっていたのがきっかけだが、その友人には感謝しないとなるまい。

 

バンド活動を続けていられるのもメンバーが参加するグループチャットのおかげだろう。今年も11月後半にライブ会場を予約したのだが、日程を調整するのもチャットで済んだ。総勢8人の予定を合わせるわけだからアナログ時代だったら案外面倒だったと思う。

 

大晦日の紅白や野球やサッカーなどの話題の試合なども誰かとチャットしながら観ることがある。偏屈なオヤジ根性丸出しで生きている私だ。そうしたちょっとしたことが社会から孤立しないでいる秘訣になっているのだろう。

 

先日、10年ほど前に死んでしまった旧友の墓参りに行こうという企画が同級生のLINEグループで持ち上がった。こんな集まりもSNS時代ならではだ。

 



参加するしないに拘わらずそうした情報をいろいろ共有することで漠然と仲間意識みたいな感覚は強まる気がする。

 

幼い頃から知っている同級生だからいわば身内みたいなものだ。そんな面々だけでのグループLINEだから今更マウントをとるような話が出てこないのも良い。そのあたりが若者達のキラキラ自慢みたいなSNSとは一線を画す。

 

誰それ達が集まって飲んだといったどうでもいいような話題も近況報告的に画像付きで流れてくると何となくこっちまで楽しい気分になる。

 



旧友の墓参り企画の様子もチャット上で報告したのだが、見事に?歳を取った友人のこんなカットを添付することで自分たちの年齢を実感する効果?もある。

 

数人集まっての飲み会にしてもSNS経由で呼びかけや応答が出来るから、20代、30代の頃より多種多様なメンバーで集まる機会が増えた気がする。

 

さほど親しくなかった友人でももともと同じ釜のメシを食った間柄だから瞬時に子ども時代に戻ってバカ話に花を咲かせる。これって得がたい時間だ。この歳になるとその有難さを実感する。

 

当たり前ではあるが友人の存在はつくづく有難い。先日の検査入院前にもいろいろ励ましてもらったし、もろもろの情報をくれる友人もいる。おまけに古い付き合いで利害関係もないからベタっとしたところがないのが嬉しい。サラっとした優しさが身に染みる。

 

「友がみな われよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ」。石川啄木の有名な短歌だ。私自身、3040代の頃は活躍する友人達を見て嬉しさと同時に自分が遅れをとっているような気持ちにもなったが、さすがにこの歳になると心境は変わる。

 

競争心みたいな感覚は無くなり、偉くなる友人にはとことん偉くなって欲しいと素直に思えるようになった。みんなが平穏無事ならそれだけで充分だと感じる。

 

いい人ぶって綺麗事を書いているようでゾワゾワした気持ち?だが、こういう感覚になることが歳を重ねるということなのかもしれない。

 

 

 

 

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