2024年5月15日水曜日

騙す女、貢ぐ男

 

新宿のタワマンに住む25歳の女性を刺殺したとして50代の男が逮捕された事件。なんだか哀愁を感じる話である。さんざん貢がされたのにソデにされた恨みで殺しちゃったわけだ。50代の男のバカさと哀れさにメディアはこぞって大騒ぎだ。

 

貢ぐために消費者金融から金を借り、趣味のクルマやバイクも売払い必死になって人生最後の結婚のチャンスに賭けたらしい。男女の距離感が分からない中年男の危なさを象徴する話だ。

 

先月は「頂き女子・りりちゃん」こと25歳の女が複数のオッサンたちから総額15千万円以上を騙し取ったとして懲役9年の実刑を食らった。こちらの案件ではオッサン達を騙して金をむしり取るマニュアルまで販売して荒稼ぎしていたが、新宿の事件後にそのマニュアルが“評価”されるヘンテコな事態になっている。

 

マニュアルには「趣味がないオッサンを狙え」という趣旨の内容があったそうで、新宿の事件もその点を守っていれば安全?だったという理屈だ。要は大事な趣味まで捨て去って貢ぐような男はあとが怖いという意味合いだ。

 

なんだかバカげているというか、マトを射ているようなビミョーな話である。いずれにせよ前後不覚になったオッサンの破れかぶれの行動ほど危なっかしいものはない。世相も相まってこういう洒落にならない事件は今後もどんどん増えるだろう。


若いオネエチャンが金満ジイサンをたらし込むといえば、かの「紀州のドンファン事件」を思い出す。いずれはあの事件が「騙されるオッサン文化」という現代病?の出発点として歴史に記憶されるような気がする。

 

そんな事件が増える背景は単純だ。結婚しない、結婚できない人が増えているのはデータ上も明らか。その多くが対人関係の作り方が苦手で、引きこもり気味な人も少なくない。今の時代、SNSを代表とするネットの世界やゲームに一人で没頭することで世間の現実を学ばないままオッサンになる人は多い。

 

昔でいうオタクっぽい人々ともちょっと違う。昔のオタクはオタクでコミュニティを作ったりして案外明るく人生を楽しむ人も多かったが、今の時代は根暗な被害妄想の中に生きる陰湿なタイプが増殖している。

 

やつあたり的な妙な復讐心みたいな動機で通り魔的事件を起こすような厄介な連中が増加していることは近年の諸々の事件を見れば明らかだ。いっぱしの年齢になっても冷静な判断、常識的な見極めが出来ない連中が物凄い勢いで増えているようだ。そんな連中を百戦錬磨の詐欺師が騙すのは簡単なことなのかもしれない。

 



かたやパパ活という言葉に象徴されるように若い女性がお小遣い付きでオッサンに付き合う文化?がすっかり定着した。しょせんはお金ありきのキツネとタヌキの化かし合いだから手練れの女子はニブいおっさんを簡単に手玉に取る。

 

「頂き女子・りりちゃん」が9年もの実刑判決を受けたのも、チマタに横行する詐欺女による被害が思った以上に甚大だから一種の見せしめ効果を狙ったものという考えるのが妥当だ。

 

格差社会、貧困の固定化によって若い女性のカジュアル売春が珍しくなくなった。それを支えるSNSは日増しに便利になり、SNSを舞台にした怪しい詐欺も横行する。そんな危なっかしい世界にもかかわらず居場所を求めて男達が誘蛾灯に群がるように集まる。


社会性の欠けた大人の増加や結婚できない男性の増加という時代の特性を考えると、SNSを入口にした「騙され事件」が減ることはない。今この瞬間もどこかで誰かが騙されてむしられるのが「普通のこと」になっているのだろう。

 

思えば、昔から水商売などの女性に騙されて身を滅ぼす話は珍しくない。松本清張の作品の世界もそうした“業”や“サガ”のオンパレードだ。今の時代はSNSの普及で素人とプロの線引が曖昧になったからトラブルの広がり方も際限がない。清張先生が生きていたらどんな作品に仕上げてくれたか興味深い。

 

ちょっと軌道修正。


しょせんオッサンと若いオネエサンの組み合わせは大半が「カネがすべて」だ。その基本原則を忘れるからトラブルになる。冷静さを失って舞い上がっちゃうオッサンがシャレにならない被害を受ける。

 

ある意味、女子の気を引くために小遣いを武器にするのはオッサンの特権?でもある。それ自体は世の中の潤滑油としてアリだと思う。需要と供給の話だ。ただ、前提として「常識的な金額に留める」という暗黙のルールは存在するべきだ。そこがすべてのカギだろう。

 

ギャンブルだろうが、女遊びだろうが、趣味の世界だろうがこの基本的な前提は非常に大事だ。人によって経済レベルは違うが、誰にだって「絶対防衛ライン」はある。そこを守れないのは単なるバカで、水原一平サンやナントカ製紙の元会長サンという奇特な?世界の話になってしまう。

 



お人好しの私だってこれまでの人生でずいぶんオネエサンたちにタカられた。当然、下心の見返りにタカりに応じてきたところもある。それでも自分の中で金額の線引きは当たり前にある。だから地団駄踏んで悔しがるような騙され方をしたことはない。

 

逆に言えばそんなチマチマした考え方だから豪放磊落なり無頼漢になるなんて無理だったわけだ。あくまで自分の凡人ぶりを実感する。たった一度の人生、突き抜けちゃった人をちょっとだけ羨ましく感じたりもする。

 

話を戻す。

 

おカネありきの男女関係と聞くと眉をひそめる人も多いが、一概にそんな悪いことばかりでもない。たいした金額ではなくても「カネが前提」という部分を男側も一種の壁にして相手との距離感を適度に保てるという効果もある。

 

男女の仲について勘違いをするのは何も男だけではない。女性だって勘違いをして必要以上に距離を縮めてくることがある。その防波堤になるのがおカネの存在だ。その壁のおかげで適度な距離を維持できるのも確かだろう。

 

私自身、これまで何度もインチキ臭いタカり話を体験してきた。やれ親の入院費だ、やれ弟の学費だ、はたまた整形費用を騙されて自己破産しそうだ等々、当たり前のように私には無関係なテーマだ。知ったこっちゃない。当然、すべて断った。もう少し信じたくなるようなマトモな作り話を考えろと言いたくなる。

 

財布を落としちゃったから2万円ほど口座に送金してくれという寸借詐欺みたいな話もあった。よほど親しければ別だがそんな相手ではないから断った。でも、2万じゃなくて2千円でいいと言われたら信用したかもしれない。案外そんなものだろう。

 

一応、私はレッキとした独身だから今も若い女性たちと付き合いもある。交通費名目で小遣いも渡す。でも「もっとちょうだい」みたいな空気を感じたら残念ながら終了である。もっと渡せるにしても、いや、目的完遂?のためにもっと渡したくても、一度応じたら必ずそれがクセになるのが人間だ。後ろ髪を引かれてもオサラバしたほうが賢明だ。

 

一種のヤセ我慢みたいな部分もある。でもそこさえブレなければ変な詐欺には遭わずに済む。人間って不思議なものでタカったりせびったりしてこない相手には逆にこちらからサービスしたくなる。どうせならそういうノリでおカネを渡したいものだ。

 

実際、そんな流れで高い服を買ってあげたり、結構な金額を渡してしまったことは何度もある。もともと私はどちらかといえば太っ腹なほうだから、上手く取り入ってきた女性には割と財布のヒモが緩くなってしまう。

 

もちろん、常に「程度問題」という意識は維持しているが、数を重ねれば結構な出費になる。結局はアレコレと強がったところで無駄に散在してきたのは事実だ。

 

でも騙されたとは思っていない。そう信じたい()

 

何だか話がまとまらずに終わってしまった。


 

 

 

 

 

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