2025年8月1日金曜日

夏の風物詩

 

男の子はみんな夏が好き。そう信じて生きてきたが今では事情が違うみたいだ。「命にかかわる暑さ」という言葉が公式にアナウンスされる時代だから、気軽に「夏が好きだぜ、ウェイ!」などとは言えない。

 

私も夏が好きだった。過去形だ。一応、今も夏の風物詩的なものは好きだが、そんなことを楽しんでいたら命にかかわるから困ったものだ。

 


もはや夏を過ごすこと自体が命がけの時代である。昭和の夏のユルい感じを思い起こすとまさに隔世の感がある。学校にはエアコンが無いのが普通で、だからといって倒れるヤツもいなかったし、そもそも熱中症という言葉が無かった。

 

あの程度の暑さなら外に出て「夏っぽいこと」をエンジョイしても死んじゃう危険はないわけだからつくづく良い時代だったと思う。

 

今も私は夏の昼下がりの散歩が嫌いではない。今ではマゾみたいな変態趣味にも思える。汗だらだらになって帰宅したら水風呂に飛び込んで生き返るのが楽しい。

 

サウナみたいなものだが、サウナは狭い部屋でじっと耐え忍ぶあの修行僧みたいな雰囲気がちょっとダルい。散歩だったら好きな音楽を聴きながら時折、街中の雑貨屋や和菓子屋を覗くことも出来る。

 

疲れたら公園のベンチに腰掛けてイヤホンを外せば蝉時雨が全身を包む。一種独特な郷愁に浸れる。なによりギラつく太陽の光の強さに生き物としてパワーをもらえるような気がする。

 

今年の夏はそんな変態的真夏散歩をなかなか実践できていない。ちょっと頑張ってみても熱中症寸前のだるい感じになっちゃうからすぐに帰宅してしまう。実に残念だ。これもまた加齢の影響か。いや、若者だってこんな暑さの中で動き回ったらきっと同じだろう。

 



先日、近所の公園で盆踊りをやっていた。みなさん汗だくで頑張っていた。夜なのに30度もあったら踊りどころではない。お気の毒である。「夕涼み」という日本語もまもなく死語になるのだろう。

 

夏の風物詩といえば蝉時雨だが、暑すぎるせいか都心では昔ほどセミの鳴き声を聞かなくなった気がする。さすがに8月はミンミンジージーツクツクと頑張ってくれるのだろうが、7月はスカスカだった。

 

某休日、蝉時雨だけを目的にわざわざ赤坂の日枝神社まで行った。狙い通り緑の集中した場所ではセミの大合唱が楽しめた。でも今年はまだヒグラシの切ない響きを聴いていない。そろそろ出番だろうから週末の夕方は頑張って散歩しようと思う。




 さて、蝉時雨にもまして夏の風物詩と呼べるのがかき氷だ。暑い中でのあの一口目のウマさは悶絶モノである。安いシロップのシャバダバなかき氷だろうと救世主みたいに有難い。拝みたくなる。

 

近年はモダンなかき氷が若い世代を中心に人気を集めている。私も娘に付き合っていくつかのその種のかき氷を食べてきた。確かにそれぞれウマい。うならされるような一品にも遭遇した。

 

でも、不思議なもので子供のころの原体験に近いかき氷のほうが結局は美味しく感じる。だいたい、イマドキのモダンなかき氷は2千円やら3千円やら呆れるような値付けが珍しくない。

 

そりゃあ高いコストをかけたら大向こうをうならせるかき氷はできるのだろうが、そこまで仰々しい気分で口にするようなものだろうか。「普通に美味しい」という基本こそがかき氷のポイントのような気もする。

 



先日、三越前にある和菓子屋さん「いちや」のイートインコーナーで食べたかき氷が良かった。あんずとイチゴミルクだ。ベーシックだけど丁寧な仕上がりで妙にウマかった。蟹を食べているかのように無言で完食してしまった。確かひとつ600円ぐらいだったと思う。

 

高級路線に向かって迷走するかき氷を追っかけるのも面白いが、無難かつ安定の味が楽しめるベーシック路線を極めるのも大人のたしなみかもしれない。







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