2014年6月18日水曜日

蹴球


サッカーばっかりである。

ワイドショーでは、日本戦が行われている時間にテレビ観戦をしていない人を取材して「なんで見ないの?」と迫っていた。まるでアホだ。大きなお世話である。

さすがに私も日本戦は一生懸命に見る。でも、国民総動員みたいな妙な空気にはチョットうんざりだ。

全世界注目の4年に一度のワールドカップ。いつの頃か日本も大騒ぎするようになった。

5大会前に初出場を果たしたわけだから、当然それ以前はワールドカップのワの時も知らない人が大半だった。

変われば変わるものである。

Jリーグが1991年に創設されたあたりからサッカー人気が高まった。それ以前は世の中の関心は野球一辺倒だった。

私が通った学校は大昔からサッカーが「校技」になっていた。アメリカ人にとってのアメフト、日本人にとっての相撲みたいなものである。意味不明でスイマセン。

ということで、小学校時代、生徒全員がサッカーをやらされた。運動会よりサッカー大会のほうが大事なイベントだったほどだ。

サッカー大会以外にも、リフティングの回数を競ったり、シュートをマトに当てたりする競技会もあった。

野球が上手な子供より、サッカーが得意なヤツが花形になるような学校だった。

ついでに言えば、「デブはキーパー」が常識だった。関係ないか。

年に一度、“サッカーどころ”静岡の小学校チームをわざわざ招いて親善試合まで開催されていた。先入観のせいもあって、静岡の子ども達は強そうだった。

みんなが「ドログバ」状態だ。

だから、今の日本代表がワールドカップの舞台で萎縮する気持ちがよく分かる。きっと、都会のもやしっ子が静岡の猛者を前にした感覚と同じだ・・・。

などと、不真面目なことを書いていると、本物のサッカーファンに怒られそうだから適当にしておく。

そんなこんだで、わが母校出身者は、どことなくサッカーに対して鼻持ちならない?ところがある。

「サッカーなんか昔からよく知ってるぜ」、「子どもの頃はサッカーに明け暮れたぜ」、はたまた「ラモスよりジョージ与那城だったよな」とか「奥寺は偉大だったな」みたいなプチ自慢というか、先人アピール?をしたい気分になる。

ワールドカップみたいな「にわかサッカー好き」が増殖する時期になると、なおさら「威張りたいモード」のスイッチが入りやすくなる。

「そこはインステップで蹴らなきゃ」、「オフサイドトラップすべきだったな」、とか、分かったようにエラそうなことを言い出す。

でも、しょせんサッカーを知ったのが大昔だから「あ~あ、自殺点だよ」とか「サドンデスか~」とかつぶやいてしまう。「オウンゴール」、「延長Vゴール」に進化した言葉が身に染みていない。

とはいえ、そんな時代遅れをあえて強調するような、さもしい?「先人アピール」をしちゃうのも事実である。

「サポーター」という言葉も変に気取った感じで気に入らないから「ファン」で済ませる。アディショナルタイムも当然、ロスタイムと表現する。

その他にも「スローイン」を「スローイング」と語尾を強調しながら昔っぽく言ってみたりする。

バカみたいなこだわりばかりである。

なんだかんだ言ったところで、現代社会のサッカー好きの若者の前では、そんなケナゲなこだわりも「だから何?」と一蹴されて終わりである。

一蹴されて、と書いてみて気付いた。そういえばサッカーは「蹴球」だった・・・。

個人情報などという野暮天な言葉すらなかったウン十年前、わが母校の中学・高校の生徒名簿には住所や親の氏名の他、、所属する部活が一文字で記載されていた。

野球部の生徒だったら氏名の前に「野」、バスケット部なら「籠」、バレーボール部なら「排」、サッカー部なら「蹴」と記載されていた。

バレー、バスケだと「バ」で重なっちゃうから「排球」「籠球」の頭文字を使うのも理解できる。でも、サッカーは混同する他の部活がないから「サ」で済むはずである。

それでも蹴球の「蹴」の字をあてるところがカッチョ良かった。単に時代が古かっただけなのだろうが、あえて今、蹴球って言葉を多用したら格好いいと思う。

だいたい、サッカーという言葉自体、アメリカや日本など一部の国でしか通じない。フットボールと呼ぶのが世界の主流である。

サッカーという呼び名自体が亜流なんだから、漢字圏の国々で連携して「蹴球」を定着させたら面白いと思う。

どうでもいい話ばかり書き殴ってスイマセン。ワールドカップのネタで何か書こうと思ったら、こんな話になってしまった。

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