2015年8月28日金曜日

林修に感服


「いつやるの?いまでしょ!」の決めゼリフで一躍時の人となった林修さん。その後も一発屋として消えることなく、いまや「池上さんか林先生か」みたいな人気者だ。

テレビ番組では、単なる東大卒の秀才ではなく、硬軟さまざまなジャンルに精通した博識オジサンとして活躍している。

なぜ、林先生ネタを書き始めたかというと、先日読んでみた彼の本にやたらと感心したからだ。


「すし、うなぎ、てんぷら~林修が語る食の美学~」という本がそれ。

林先生の本だからというより、私が大好きな寿司やウナギの話を手軽に楽しめそうだと思って読み始めたのだが、著者の見識、文章力、洞察力にただただ感服してしまった。

あの人はホンモノの「プロフェッショナルな客」である。

有名人になったのはここ2~3年の話だ。それ以前は予備校講師である。食関係の仕事をしていたわけでもない。

にもかかわらず、「すし、うなぎ、てんぷら」それぞれの名店に若い頃から長年通い続けており、この本では、それぞれの店主のワザや心意気を実に上手に引き出している。

素人としてアレコレ尋ねるというより、モノがわかったプロの客として作り手に核心的なことを尋ねている感じだ。

この人、学生時代にはバイト代が入れば、若造には敷居が高いような名店にいそいそ出かけて無理をしてでもウマいモノを食べてきたそうだ。

漫然と食べてきたというより、「客として真剣に店と向き合い、真摯に闘ってきた」と表現したほうが的確だろう。本の中にも随所にそう思わせるエピソードが散りばめられている。

素直に面白かった。

ついでにいえば、ここ数年の自分の「客としてのフヌケた感じ」を反省する気分になった。

林先生は私と同じ年である。私と同じ年であそこまで貪欲に「食」を追求しようとする姿勢に感心した。見習わないといけない。

30代中盤から40代前半ぐらいまでの私は結構いろんな店と向き合って、「食」のアレコレを吸収しようと一生懸命になっていた。

それこそ真摯に闘うような感覚だった。変な例えだが、道場破りみたいに肩に力を入れて敷居の高そうな店にも出かけた。

居ずまい、物腰なんかにも気を配り、少しでも「わかっている客」になろうと努力した。

バカみたいと言われちゃうとそれまでだが、少なくともああいう時間を過ごしたことは無駄ではない。大げさに言えば男の修行みたいなものだった。

そういう時間に無縁だった人よりは何かが豊かになったはずだと勝手に思い込んでいる。

背伸びして、無理をして、頑張っちゃうことは、何事においても大事である。若いうちなら尚更だ。滑稽なほど背伸びしちゃうのが若さの特権だと思う。そこから得るものはたくさんある。

お寿司屋さんや料理屋さんを相手に、背伸びして道場破り的な行動ばかりしていた頃、常に返り討ちにあって様々なことを学んだ。恥もかいたし、悔しいような思いもした。

そして、さまざまなことを知った。いろんな「正解」があることも知った。食の嗜好は人それぞれ。店に求めることだって十人十色だ。決めつけちゃうことは愚かしさと同義語である。たかが店選び、されど店選びである。

その後、40代も半ばぐらいになり、“道場破り的な頑張り”に疲れてしまったようで、ノホホンと過ごせる店ばかりに足が向くようになった。

それはそれで自分としては快適だが、考えてみれば一種の堕落ともいえる。気軽にワガママが言える店ばかりに通ってしまう。チャレンジ精神という意味では失格だ。

これまた例えは変だが、井の中の蛙みたいなものである。まだまだ大海に背を向けて小さくまとまっている年齢ではない。

てんぷらはあまり食べないが、「すし、うなぎ」に関しては、ついつい自分が快適に過ごせる店ばかり選んでいる。

もちろん、それらの店がどうこうという意味ではない。「緊張感の中に身を置かずにフヌけた感じで過ごす自分」がちょっと問題だという意味である。

ついでにいえば、なんだか最近はすっかり大衆酒場ファンになってホッピーを飲みまくってゲップばかりしている。


大衆酒場が悪いという趣旨ではない。大衆酒場の魅力は捨てがたい。「ハムカツと黒ホッピー」の組み合わせは、冷静にみても世界に通用するウマさだと思う。

これも結局、凜とした空気の中で店と客との一騎打ちに挑むような場面を避けている意味で私自身の近年のズボラな感じを象徴しているのだろう。

楽なほう、気軽なほうばかりに行ってしまうのが人間の本能だ。でも、そこでちょこっと踏ん張ってヤセ我慢したり、背伸びしないと「ひとかどの紳士」?にはなれないと思う。

何を目指しているかよく分からないが、もう一踏ん張り頑張ってみようと思う。そう思えただけで、林先生の本を読んだ甲斐があった。

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