2015年11月20日金曜日

つぶやくのは難しい


文章は短ければ短いほどエラい。乱暴な言い方だが、文章の世界における真理?である。短い文章の中に言いたいことの要点を上手に盛り込むことは難しい。

短文の名手。つくづく憧れる。昭和の文豪と呼ばれるような人達は誰もが短文の名手だろう。長年書き綴った個人的な日記が後々、文学的に高い評価を得ていることがその証だ。

以前、永井荷風と谷崎潤一郎が終戦前夜に疎開先の岡山ですき焼きを食べた逸話をテレビのドキュメンタリー番組で観た。

二人の文豪が残した日記からそれぞれの思いを紹介していたが、さらっと書かれたような短い日記の中に当人のさまざまな想いが想像できて興味深かった。

ということで、日頃、冗長になりがちな当ブログの反省?を込めて、今日はここ最近の身辺雑記を短文にまとめてみた。


★その1

医者の問診の際、常用薬を聞かれて「太田胃散」と答えたら軽くスルーされた。愛する太田胃散に対してリスペクトが足りない医者に腹が立つ。
でも、ハゲ予防薬を毎日飲んでいることを恥ずかしくて言いそびれた私もダメである。ハゲ予防薬に対して失礼なことをしてしまったと反省。




★その2

飲みすぎて気持ち悪くなってタクシーに乗りたくない時がある。そんな時にピッカピカのレクサスのタクシーにあたった時の喜びは、セクシーな女子とムフフになった時の喜びより大きい。いや、やっぱりセクシー女子のほうが嬉しい・・・。
でも「オンボロタクシーと同じ料金じゃ不公平だなあ」とか言ってチップを多めに置いていく自分のお調子者ぶりを後悔する。ついでに、そんなことを後悔する自分のセコさも後悔する。




★その3

スマホでメールを打つ際に老眼・近眼に加えて指がデカいから予測変換の候補一覧の違うところを押してしまう。「想像するだけで興奮する」と打ったつもりが、「相続するだけで興奮する」になっていた。自分が凄く不謹慎な人間に思えた。
ちなみに以前、元妻とのメールのやり取りの際に「扶養親族」を「不要親族」と間違えたことがある。「不要」になったのは誰なのか?オレか。。。




★その4

若い頃はカタカナが苦手な年寄りを小馬鹿にしていたが、どうも最近は自分もそっちの仲間入りである。「スワロフスキー」が思い出せずに「アダムスキー」と言ってしまった。それはUFOの種類である。
「あれあれ、なんだっけ、そうだ、ブレジネフ」と言ったこともある。昔のソ連の偉い人の名前だ。 「フ」しか一致してない・・・。


いろいろ書いてみたが、すべて実話である。アホみたいな日常が垣間見える。それにしても、やはり短文を作成するのは難しい。

ツイッターは140文字という制限があるらしいが、ここに書いた話はすべて字数制限をオーバーしている。

ツイッターを始める予定は無いが、あれを活用していれば短文能力を向上させる効果があるのかもしれない。

なんだかんだ言って、私は余計なことを書きすぎる傾向にある。上に列挙した出来事もオチをつけたがるからダラダラしてしまう。



★その5

10月にスペイン「トレド」を旅してきた私の話を料理屋の板前さんがフランスの「ルルド」と勘違いしているのに最後まで訂正できずに話を合わせた自分は優しい人間だ。



★その6

何となく恥ずかしくて使いにくい「オナニー」という言葉は、聖書に出てくる「オナン」という人の名前が語源だと知って驚く。世界中にいるだろう「オナン」という人の肩身の狭さに同情する。 


この2つのように簡潔明瞭にして余計なところに話を飛ばさないようにすれば正しい?短文になるのかもしれない。

ツイッターはやっていないのだが、Facebookにはマヌケな話をポツポツと投稿している。必然的に短文になるように意識しているので、あの感覚をもっと普段の文章にも活用すべきなんだろう。

ちなみにFacebook上で、最近わりとウケた投稿を引用してみる。



廊下ですれ違ったマンションの住人に挨拶して無視されたので「なんとか言えよ」と小声で毒づいたつもりが「どうもすいません」と切り返されてたじろぐ。


恥ずかしい話だが、実話である。年齢とともに感度が低くなったのか、心の中でつぶやいたつもりが普通の音量で口に出してしまったようだ。

それよりも、この投稿は短文の中に中年男が抱える世間への不満と様々な人生への葛藤や戸惑いが浮き彫りになっていて読む人の心を揺さぶる文章だと思う。

大ウソです。すいません。

でも、読み返してみると、短い言葉の中にスムーズに状況を描写できたような気がして我ながら悪くないと思った。

なんだか今日は身辺雑記が書きたかったのか、短文講座?だったのかよく分からない内容になってしまった。

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