2015年12月14日月曜日

「浮き様」になりたい


12月になると街中がキラキラとネオンの光で溢れる。今年もあの季節がやってきた。

忠臣蔵の季節である。12月14日は赤穂浪士が討ち入りを果たした日だ。

300年以上も前の歴史的事件が大元である。大石内蔵助をはじめとする赤穂藩の元藩士47人が主君の敵討ちのためにハッスルする話である。

毎年のように作られる映画やドラマで出てくる感動的なエピソードはほぼ100%が作り話らしい。そんなことは百も承知だが、私は忠臣蔵が大好きである。単純明快に楽しい。痛快である。


毎年、世の中がクリスマスで浮かれ始めると条件反射のように忠臣蔵が恋しくなる。今年はBSで再放送していた10年前のドラマスペシャルが印象的だった。

大石内蔵助は松平健、吉良上野介は伊東四朗が演じ、浅野内匠頭は沢村一樹が大真面目に演じていた。下級藩士役でやたらと初々しい要潤が頑張っていた。


さて、忠臣蔵には勧善懲悪モノの要素が完ぺきに網羅されている。「堪え忍んで悪役に仕返しをする」というストーリーは、仮面ライダーやガッチャマンにも通じるヒーローものの王道だ。

実際には、討ち入りを果たしたのは、死んだ主君とは面識すら無い下級武士が中心で、再就職に向けたパフォーマンスだったという見方もある。

それ以前に「主君の仇討ち」という美談自体が単なる「言い訳」でしかないという見方もある。

現に討ち入りのリーダー・大石は断絶させられた浅野家を再興するために奔走していた。それが叶わなかったから討ち入りに方針転換。すなわち、お家再興が許されていたら討ち入りはしなかったということ。

吉良が憎いとか、亡き殿のためとかではなく、職場を失うハメになった処分への抗議として過激な行動に走ったという話だ。

あくまで幕府に抗議したかったものの、勝ち目もないし、お上にタテつくことが許されなかった時代である。サムライ政権である幕府が奨励していた「忠誠心」を逆手にとったわけだ。政府に対する強烈な皮肉である。

寝込みを襲われた吉良ジイサンは堪ったものではない。名君だったという説もあるが、後世の映画やドラマでは悪役の代表格になってしまった。スーパーヒールである。

「デスノート」に出てくる「キラ」というキャラクターも恐らく吉良上野介からネーミングされたのだろう。違っていたらゴメンナサイ。

まあ、忠臣蔵の何たるかを語ればキリがない。エピソードの大半が作り話だろうと個人的には構わない。映画やドラマでは、あくまで痛快なヒーローものとして描いてもらいたい。

浅野の殿様はシュッとした若い二枚目俳優、奥さん役はこれまた美人女優じゃなきゃダメだ。当然、大石役はドッシリと構えた味のある中年の演技派、吉良役は悪人顔の老獪なベテランで決まりである。このルール?は絶対守らないと成り立たない。

忠臣蔵の定番シーンはいくつもあるが、大石が遊郭で遊び呆けるシーンもそのひとつ。討ち入りなど考えてもいないというフリをするため、夜な夜な遊んでいる設定だ。

たいてい、目隠しをされて鬼ごっこみたいなことをしている。遊女達に「浮きさま~」と呼ばれてデレデレしている。浮かれた浮きさまである。

私は昔からあのシーンが好きである。「バカなフリをしながら実は用意周到に計画を練っている」というのが格好良い。

大石役の俳優の見せ場でもある。遊郭で遊びながら時折チラっと見せる真剣な眼差し、あるいは遊郭の帰り道に悪い衆に囲まれてもチョチョっと退治しちゃう感じがステキだ。

男なら憧れてしまう。何か壮大なはかりごとを考えているのに、それをオクビにも出さずに夜の街でイキに過ごす。なんかカッチョいい。

綺麗どころに囲まれてデレっとしているくせに、時折、力強い目で遠くを見つめる。帰り道に暴漢に襲われそうになっても、アッという間に蹴散らしちゃう。

よし、私もこれからはその路線を目指してみることにしよう。

まずは「壮大なはかりごと」を作ることから始めなきゃならない。でも、仇討ちをしなきゃならない「亡き殿」もいないし、職場も失ってないからモチベーションの点で難しい。困ったものだ。

仕方がないから、まずは「浮きさま~」と呼ばれることから始めよう。それなら難しくなさそうだ。

これからの季節はネオン街に出没する機会は増えるから、知り合いには「浮きさま」と呼んでもらうことにする。

「サンタさん」とか呼ばれて散財させられるよりはマシだと思う。

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