2016年4月15日金曜日

水中撮影ノスタルジー


その昔、誰でも持っていたのが「写るんです」。最近になってジワジワ人気が再燃しているそうだ。


使い捨てカメラとも呼ばれていたが、正確に言えばカメラではない。レンズ付きフィルムである。観光地でカメラを忘れてもそこら中で売っていた。お世話になった人は多いだろう。

いまだに販売されていたこと自体に驚いた。写真といえば今やスマホでパシャッが定番だ。「写るんです」の復権は「味わいのある写真」を求める一部の人が支えているらしい。

ちょっと分かる気がする。

30年前、私が水中写真に興味を持ち始めた頃はデジカメという夢の機械が登場することなど想像もしていなかった。

もちろん、電話が小さくなって持ち運びできて、おまけに写真まで手軽に撮れちゃうことなど夢にも思わなかった。

水中撮影に励む時も、せっせとカメラにフィルムを装填して、最大でも36枚しかシャッターを押せない制約の中で一生懸命撮影した。

当然、現像するまで出来映えが分からないからカメラやストロボの細かい設定を間違えて、ほとんどの写真がダメになっていたこともあった。




20年ほど前、マレーシアのマブールという島に2週間滞在して毎日毎日アホみたいに潜り続けたことがある。帰国後、写真屋さんに持ち込んだフィルムは60本以上。現像代を払うために貯金をおろしに行った記憶がある。

なんだか今と比べるとまったく別な星の話みたいだ。


お金もかかった。水中写真は特殊な環境ゆえ撮影機材次第で出来映えが大きく左右される面がある。当時は自由になるお金の多くをそっち方面に投入していた。

にもかかわらず、気づけばデジタル時代に突入。アナログから移行するには莫大なコストをかけた撮影機材を捨てるハメになる。しばし踏ん張ってみたのだが、結局ムダな抵抗だと悟り7年ほど前にデジタル一眼に移行した。

撮影枚数の制約もないし、撮影した画像をその場でチェックできる。あきれるほど便利になって喜んだのだが、なぜだか、それからしばらくして撮影意欲が低下。最近では1年に1回出かけるかどうか。すっかりヘタレ状態になってしまった。

他にやることも多いし、体力的なこともモチベーションが下がった原因だが、水中撮影を昔より面白く感じなくなってしまったことも大きな理由だと思う。

変な話、熱くなっていた当時はフィルム時代の不便さを楽しんでいたのかもしれない。性格的にMだし・・・。

その場で撮影結果が見られない、シャッターも36回しか押せない。当然、水中でフィルム交換は出来ない。とにかく1枚1枚を大事に撮影していた。そんな制約の中で一発勝負みたいな感覚で苦悶しているのが楽しかったのだろう。

やはりドMである。




今日ここに載せた画像はすべてフィルムで撮影したものだ(クリックで拡大されます)。データ化した際に画質の劣化はあるものの、フィルム写真としての風合は残っていると思う。

冒頭で書いた「写るんです」の話も、結局はデジタル写真の「ヴィヴィッド過ぎる感じ」とは異なる風合を求めた結果だろう。

個人的な意見だが、デジタル写真には、シャープ過ぎる感じ、キンキンした感じがつきまとう。フィルムのほうが良い意味でヌルい感じ、ユルい感じが漂う。



もちろん、イマドキのデジタル写真は撮った画像の雰囲気や風合をさまざまにアレンジできる機能も当たり前のように付いている。

いとも簡単にヌルくもユルくも出来ちゃうわけだ。でも、うがった見方をすれば、そんな機能が必要なほど元になる画像がカッチカチということなのかもしれない。

まあ、ぜんぶ私の先入観とノスタルジーが入り交じった主観である。トンチンカンなことを書いていたらご容赦願いたい。




すっかり懐古趣味みたいな話になってしまった。

「昔はよかった」とか「俺たちが若い頃は」などと得意になって語るジジイになるのはイヤだったのだが、どうやらそっちの路線バリバリである。

いかんいかん、現役でブイブイ頑張るには後ろを振り返っている場合ではない。

水中に潜らなくなった変わりに、シーツの海に潜って怪しい画像をせっせと撮影することにしよう。

2 件のコメント:

道草人生 さんのコメント...

富豪記者殿

同感です。僕は汽車・電車の写真ですが、確かにフィルもの値段は高くて一コマが貴重でした。でもそれ以上にフィルムを巻き上げる快感や、出来上がりを待つ不安、そしてポジフィルムを光にかざして見るときの感激(または失望)などを肌で知っているとフィルム時代の方がやっぱり写真一枚への思い入れというのがデジタルの何倍も感じます。

富豪記者 さんのコメント...

道草人生サマは鉄道関係の写真でしたね。
長年撮られていると、ハード面の進化には感心させられていることとと思います。
でも、あの1コマ1コマを大事にしていた感性こそが撮影の楽しみだったのかもしれませんね。そんな感慨にふけることが加齢かもしれませんが・・・!