2016年6月10日金曜日
シンコ ハムカツ ポテサラ
数日前、今年初のシンコを食べた。コハダの赤ちゃんである。毎週のように出没している高田馬場・鮨源の職人さんから連絡を受けていそいそと食べに行った。
「冷やし中華始めました!」みたいなものである。全然違うか。
シンコは夏の訪れを告げる風物詩だが、「初物にウマいもの無し」との言葉もあるように、本当は出始めよりももう少し大きくなって3枚漬けぐらいで食べた方が、シンコ独特の食感が味わえる。
などと、わかったようなことをエラそうに書いてしまうのが中年男の悪いクセである。
何だかんだ言って、入荷早々に食べに行っているわけだから、そんなこだわりなどカッコつけたいだけのウンチクである。
この日食べたシンコは小さ過ぎなかったせいで赤ちゃんのホッペタのようなフワっとした食感。素直にウマかった。
いよいよ夏が始まる。
さてさて、さも食通のような書きぶりだが、最近やたらとジャンク系の食べ物ばかりに目が行く。
精神状態、心理状態となんらかの関係があるのだろうか。日々平穏に過ごしているのに不思議である。
先日、時々ふらっと顔を出す銀座の小料理屋「おかやす」でも“ジャンク魂”に火が付いてしまった。
この店の人気メニューの一つに「トウモロコシのかき揚げ」がある。バラしたトウモロコシの平べったい天ぷらにカレー粉をパラパラまぶして食べる。
この日は別な揚げ物が食べたかったので、ワガママを言わせてもらって素材であるトウモロコシを普通に丸焼きにしてもらった。
単なる焼きトウモロコシである。屋台の食べ物である。いや、そんな表現は差別的に過ぎるか。でも、そんな手軽な食べ物だ。銀座7丁目のシッポリ系の店でウホウホ食べるイメージではない。
まあ、素直にウマかったからバンザイである。醬油を塗ってバターもちょっと加えて焼き上げるトウモロコシは抜群だ。
いよいよ夏が始まる。
そればっかりである。
この店に行くと、黙っていても手の込んだ前菜が5~6種類出てくる。まっとうな和食の味付けで、それだけで2合ぐらいの酒が飲めそうな感じだ。
その一方でポテトサラダみたいな家庭料理的メニューもあるのが嬉しい。ポテサラといえば居酒屋の定番だが、この店のポテサラは芋芋していないのが特徴だ。
イモイモゴロゴロ系はあまり好きではないが、マッシュポテト的ななめらかさが私を魅了する。いつも注文する。
調子に乗って「ポテサラにはハムカツとホッピーだ」とブツクサほざいていた私に板さんが優しい言葉をかけてくれた。
「ホッピーは無理ですけど、ハムカツ揚げましょうか?」
断る理由など1ミリもない。さすがにフチが赤い安っぽいハムが良いなどとは言わなかったが、銀座の料理屋でハムカツにありつけるのはジャンク太郎である私にとっては実に幸せである。
ハムカツ&ポテサラである。ウッシシである。ソースをポタポタして食べる。至福の時間だ。日本中の料亭や割烹、寿司屋に至るまですべての店がハムカツをメニューに加えてくれたらどんなに幸せだろうと不埒な妄想が頭をよぎる。
さきほど、「ジャンク系の食べ物ばかりに目が行く」と書いてみたが、そんな理屈っぽい言い方ではなく、私の味覚が子供化しているのかもしれない。
ケチャップ味の喫茶店のナポリタンがやたらと食べたくなったり、タコの形にカットされた赤いウインナーも無性に食べたくなる。
加齢って一線を越えると幼稚化に向かうのだろうか。
この画像は数ヶ月前に浅草をブラブラしている時に撮った一枚だ。「大人のお子様ランチ」である。心が激しく揺れ動いて思わず撮影した。
こんな画像を何ヶ月も削除しないで保存しているところが私の「食」に対する偏った思い入れを表しているのかもしれない。
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2 件のコメント:
富豪記者殿
ハムカツ、良いですねえ。これを注文するとくちもとがだらしなく緩んでしまいます。でもなかなか食べられません。自分で作ろうとしても全然うまくできないし、冷凍食品にもないし、たまに肉屋で売ってたりもしますが、冷めてしまっておいしくない。ジャンク系と言いながらなかなか存在そのものに巡り合いません。ほんと、揚げたて肉厚のハムカツにウスターソースをビシャビシャかけて食べられる店があちこちに出来てほしいものです。
道草人生サマ
お世話様です。肉厚派でしたか!?
私も以前は肉厚のハムカツが好きでしたが、最近は薄め派です。
なんだかソースとコロモの味しかしないぐらいシケた逸品に魅力を感じます。
新橋あたりにはポテサラをハムで挟んでいるハムカツもあるそうです。
奥が深い世界のようです。
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