2016年11月7日月曜日

懐かしい店と懐かしい店


今日はヘンテコなタイトルだが、大昔に胸をときめかせた?二つの店に、最近たまたま立て続けに行く機会があったという話である。

ジャンルのまったく違う店なのだが、いずれも35年ぐらい前に初めて行った。それぞれ印象的な思い出がある。片方は若者向け、もう片方はオジサン向けだ。

「T.G.I. Friday's」というカフェレストランが物凄くオシャレ感を漂わせていたのは1980年代の前半だっただろうか。

いまでは東京のアチコチの繁華街にあるが、昔は六本木だけだった。まだ高校生ぐらいの背伸びしたい年頃だった私にはカッチョいい世界だった。近くには「ヘンリーアフリカ」という似たような店もあった。

その頃以来、それこそ30ン年ぶりに訪ねたのだが、年の流れとともにこっちはすっかり人生後半戦だから、場違いな店に来てしまったという印象である。

今の路線はファミレスを少し高級にしたような感じだろうか。大昔の先端スポット的イメージとは違う雰囲気だ。メニューも何だか賑やかである。ちょっと楽しい。


骨付のいわゆるベイビーバックリブがイチ押しだと聞いたので味の違う2種類を頼む。30年前だったらムホムホいつまでも食べ続けそうな味だが、今の私にはやや厳しい。

こういう時、妙な寂しさを感じる。化学調味料や得体の知れない強い味が苦手になったのは確かだが、「何だかよくわからないけど楽しげにムシャムシャ食う」という青年時代の勢いが無くなっちゃったという意味では、ある種の劣化である。

子供の頃、あんなに好きだった「ケンタッキーフライドチキン」がまったく食べたくなくなったのと同じである。

舌が肥えたなどとエラそうに気取っている場合ではない。裏返せばああいうモノを受け止めるパワーがなくなったということかもしれない。



もう一方のお店は八王子の「うかい亭」である。今でこそ銀座や表参道にゴージャスな店を構え、他にも芝公園の近くで豆腐会席の店や銀座で高級日本料理店なども出す「うかいグループ」だが、総本山というか誕生の地が八王子である。

やはり35年ぐらい前にこの店のファンだった祖父に連れていってもらった。八王子という立地からイメージできない独特なユッタリ感、高級感にちょっと圧倒されたことを覚えている。

まだ10代の少年だった私にとっては雰囲気がどうこうではなく「量」の問題で大いに悶々としたことが強烈な思い出だ。

高級鉄板焼きの店だから目の前で高い帽子をかぶった料理人が手際よく作業を進める。

子供にとっては興味のない前菜や野菜や魚介類がちょろちょろ出された後に、おもむろにこれから焼く肉をうやうやしく見せてくれる。

「ほ~、ウマそうだなあ」という私の頭の中では、見せられた肉がその場に集っていた全員分だとは思いもよらなかった。一人分だろうと勘違いしていた

悲劇である。

鉄板でジュージュー音を立てながらウマそうな香りをふりまいている肉は私だけのものではない。全員分である。


焼き上がった肉はサイコロ状にカットされて皆の前に置かれた皿に取り分けられていく。

ぐふぇ~、マジですか~!

私の心の叫びである。私の皿の上には8切れほどの小さくカットされた肉が上品に盛られている。当時の私には28秒ぐらいで完食する量である。

ウマい。実にウマい。でも少ない。凄く切ない。まるで拷問である。ハダカの峰不二子がベッドで手招きしているのに、金縛りにあって動けないようなモドかしさである。

「うかい亭」といえば、それが私の第一印象である。

あれから35年。今の私は牛肉より焼鳥を好むオジサマである。吹けば飛ぶよな弱々しさ?である。

久々に出かけた「うかい亭」でも前菜をしみじみウマいと感じ、カップサイズのスープの滋味に感動し、野菜類にまで満足して、肉が出てくる頃にはマッタリ気味である。

今回は法事の帰りに立ち寄った。隣に座っているのは大学生の姪っ子である。35年前にはあれほど少なくて苦悶したサイコロ状の肉が食べきれずに姪っ子に3切れもあげた。

これが35年という歳月の現実である。

結局、「T.G.I. Friday's」の肉もちょろっとしか食べず「うかい亭」の肉もちょぼっとしか食べない。70才や80才じゃないのにさすがに情けない。

まずはケンタッキーフライドチキンをドカ食いすることからやり直してみよう。

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