「ヨソイキ」。子供の頃にやたらと聞かされた言葉だ。普段着の対義語である。出かけるときはそれなりの格好じゃなきゃダメという意味合いである。
この言葉は東京の方言という説もあるらしい。江戸っ子の粋というか、やせ我慢的精神性を象徴する言葉かもしれない。
浅草生まれの私の祖父は近所にちょろっと出かける時でも着替えていた。普段から家でまともな格好をしていたのに、一歩外に出る以上「ヨソイキ」を着るという感覚が強かったのだろう。
そんな影響を受けて育ったはずなのに、今の私は寝間着みたいな格好で近所をウロウロする。反省しないといけない。
歳を重ねるにつれ何事も横着になってくるが、ヨソイキという概念は自然と自分を律する効果があるはずだからもっとちゃんとしようと思う。
子供の頃、大晦日には新品の下着とパジャマを用意される習慣があった。お気に入りのパジャマを取り上げられるのがイヤだったが、新品を着せられるとどこかシャキっとした気分になったのも確かだ。
「もったいない精神」とは相容れない考え方だが、節目節目でシャキっとした気分になる効能は捨てがたい。一種の文化としてアリだと思う。
先日、浅草でスリッパを買った。浅草散策が目的というより、スリッパのためにわざわざ出かけたようなもの。
以前、浅草をぶらぶらしていた時に買った畳ベースのスリッパが気に入って愛用している。そろそろ年末も近づいてきたし、正月用に新調しようと思ったわけだ。
寝間着でウロウロしちゃうようなヤボな日常を反省する意味で「わざわざスリッパを買うために浅草まで出かける自分」というストーリーに浸ってみる。
なかなか素敵な行動である!などと一人勝手に思い込んで気分がアガる。単純である。
でも、小さい事だろうとこだわりを持っているつもりになることは平凡な日常のアクセントになる。
たかがスリッパ、されどスリッパである。家にいる間はずっと履いているわけだから愛着が湧くような相棒と付き合いたい。
なんだかそんなことを書いていると、家でもこだわった格好をしていると誤解されそうだが、ヨレヨレになるほど着古したスウェットやトレーナーばかり着ている。
寝ているときも食事するときも映画を見るときも一緒。決して人様には見せられない。屁理屈みたいだが、ヨレヨレになるまで愛用するのが「こだわり」になってしまった。
娘が泊まりに来る時にはヨレヨレは片付けてマトモな部屋着を選んでいる。それぐらい普段はシャバダバな?カッコで過ごしている。
今度の大晦日ぐらいはウン十年ぶりに寝間着兼部屋着を新調してみようかなどと考えている。
スリッパと寝間着の話ばかりでもしょうがないので、浅草で食べたものの話。
浅草に行くと無性に洋食が食べたくなる。スリッパ散策の日は、運悪く昼と夜の間の時間にあたってしまい行きたい店がみんな休憩中。
で、週末はナゼか常に行列している「ヨシカミ」に向かう。ここだけは昼からずっと通し営業である。
列に並ぶことがゴキブリに遭遇するより苦手な私である。15時過ぎに行ったら店の前に10人ぐらい待っている人がいたので断念。
界隈をウロウロ散策して、まるで客がいない定食屋に吸い込まれそうになったが、なんとか我慢。シュールなステージ衣装屋を覗いてテカテカ光っている金色のスーツを買いそうになったが、これも我慢。
そして16時ぐらいに行列が解消した「ヨシカミ」に入る。ビールを飲みながら突出しのピーナッツとせんべいをボリボリ。
タンシチュー登場。グラスの赤ワインをグビグビ。ほどなくチキンライスも登場。ワシワシ食べる。カウンターの隣の見知らぬ人が食べていたグラタンにこっそり手を伸ばそうかと思ったが、さすがに我慢する。
週末の浅草は観光地だから昼から休み無しで通し営業している点はエラいと思う。並んでまで食べたくない人は夕方の時間帯が狙い目だろう。
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