寂しくないですか?とよく聞かれる。単身世帯が凄い勢いで増えているのに、世の中では「一人暮らしイコール寂しい」というイメージが根強い。
体調不良で寝込んでいれば、心細くなるが、心細いと寂しいは別モノだろう。そもそも「寂しい」という定義が難しい。
一人で見知らぬ土地を旅して、夕陽を眺めていると寂しい気持ちになる。とはいえ、あの寂しい気持ちは旅情を味わえる醍醐味でもある。
寂しいことは悪いことではない。大衆酒場のカウンターで一人ポツンと燗酒をすすっている寂しさは、むしろ心地良い。安堵に近い感覚とでも言おうか。
寂しさよりも「侘びしさ」のほうが厄介だと思う。寂しいと侘びしいの厳密な違いはよく分からないが、「侘びしい」には“情けない”“切ない”といった一種の自虐的ニュアンスが含まれているように思う。
いい歳した大人のシングルライフは、寂しさよりも侘びしさとの闘いである。パリッとしたスーツでキメているくせに、帰宅途中に長ネギがハミ出たレジ袋をぶら下げていると「侘びしいな~」という気分になる。
一人になって今年で6年目になる。最初の頃は家事全般に慣れてないせいで、侘びしい気分になることが多かった。
ふとんカバーの交換がうまく出来なかったり、洗濯物を取り込むのに手間取ったりするたび、侘びしさが襲ってきた。
その後、家政婦さんを頼み始めたことでメンドーな作業から解放された。おかげで一気に侘びしさからも解放された。
家政婦さんサマサマである。
頻度は週に一度。それで充分である。私が出勤している間に、全体の掃除の他にシーツやふとんカバー、足元マット類などの洗濯、交換をやってもらう。
それ以外にも、頼んでいるわけでもないのに換気扇周りの掃除やベランダまで綺麗にしてくれる。
おかげで、一時期は恋人みたいな存在だったロボット掃除機・ルンバも使わなくなり、結局、人にあげてしまった。
私自身が整理整頓をする習慣がついたことも大きい。あまり散らかっていると家政婦さんに入ってもらうのに気がひける。そんな見栄?もあって普段から割とキチンとするようになった。
怪しいグッズは、絶対に見つからない引き出しの奥底にしまうし、エロ動画しか見ないパソコンも念のため閲覧履歴を消去している。
涙ぐましい努力である。でも、こういうところで頭を使わないとボケちゃうから一種の脳トレみたいで悪くない。
侘びしさを感じないで済んでいるのは、家政婦さんのおかげだけではない。洗濯物はマンションの受付に持っていけば業者さんとのやり取りを代行してもらえるし、面倒な買物はネットスーパーで済む。
所帯じみた行動を避けたがるのが古い体質の男の特徴だろう。“男子厨房に入らず”は極端だとしても、家事全般への抵抗感は私にも少なからずある。
今の時代、そんな昭和的思考ではダメだと分かっているが、染みついちゃってる感覚だから仕方ない。
家事全般を得意気にこなす男性を内心ではカッチョイイと思っている。でも、自分のことになると、ついつい昔の男っぽさを気取りたくなる。
でも、侘びしさと家事を関連づけちゃうことがホントは不自然なんだろう。逆に「家事エキスパート爺さん」を目指したほうが建設的かもしれない。
船越さんの元嫁が「マツイ棒」なる掃除グッズで一財産を築いたことは有名だ。これからの時代、シングルオジサンやシングル爺さんは増える一方だから、そういう人達をターゲットにした便利グッズも開発して億万長者を目指すのも悪くない。
そんな呑気なことばかりホザいてるわけだから、つくづく平和である。
2 件のコメント:
いいなぁ、この記事。しみじみと沁みる。(言葉が重なってますが、
ポテ珍3号さま
ありがとうございます!
侘びしさに負けないよう奮戦したいと思います。
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