2018年5月14日月曜日

贅沢食い バチ当たり


子どもの頃、食べ物を残すとバチが当たると言われた。ご飯を一粒でも残そうものなら祖母からキーキー言われた。

大人になってもその教えを守り続けたせいで、体重はどんどん増えてしまった。

私が肥えているのは実家のしつけのせいだと思う。うらめしい。

食べ物を残す。これって確かに罪悪感にさいなまれる。人目があったら尚更である。外食の多い私としては困った問題だ。

その分、人目に付かない時の私のふざけた食べっぷりはバチあたり極まりない。贅沢ざんまいである。

時々、無性にカップ麺が食べたくなる。コンビニで物色するが、どれもウマそうに思えて2つ買って一度に食べてしまう。ひどい時は3つ買うこともある。

もちろん全部は食べない。残すのは分かっているのに複数の味を楽しみたいという贅沢モードになってしまう。まさにバチあたりだ。

その気になれば2つ3つ食べるのは難しくないが、健康を考えたら残さないといけない。あくまで身体のために残す。そんな言い訳が常に頭に浮かぶ。


シュークリームの残骸の画像だ。これも贅沢食いである。外側だけ残して中味をすする。シュークリームは中味がウマい。外側は付け足しみたいなものだ。

私に言わせれば、炭水化物ダイエットに励んでいる人と変わらないと思う。せっかく出された定食のご飯を平気で残すよりもシュークリームの外側を残すほうがマシだと思っている。

年に2,3回、マックのハンバーガーが食べたくなる。贅沢食い、いや反則食いをするために店では食べずにデリバリーを活用する。人様には見せられない。

意地汚いから5種類ぐらい頼む。とはいえ、さすがに食べきれないから、パンの部分を8割ぐらい残して中味だけムホムホとがっつく。

パンを残せば5種類ぐらいペロっと食べられる。物凄い罪悪感だが、ちゃんと全部食べたらぶくぶく太って成人病になって、医療費がかさんで国家に迷惑をかけるから仕方がないと自分を納得させる。


こんな話を書くと世間様から糾弾されてしまうが、私にとって究極の贅沢がこれだ。

パッと見は謎の物体だが、実はピザ生地である。

ピザの上だけを食べてパイ生地を残すという暴挙の果ての姿である。

以前、ダイエットに励んだときに開発?してしまった反則ワザである。野菜や海草、サラダチキンばかりで苦戦していたストレスを発散するために「ピザの上だけ」を食べてみた。

モサモサした生地が無いほうが逆に美味しく感じてしまい、その後もごくごく稀にだが、そんな食べ方をしてしまう。

「ピザーラ」関係者の皆様、本当にスイマセン。

酸いも甘いも噛み分けたはずの大のオトナとして恥ずべき行為なので、これを機会にちゃんとしようと決意している。

そう言いながら、昨日もコンビニで買ったモンブランの上だけ食べるという贅沢をしてしまった。

やはり独り者という身勝手な生き方が影響しているのだと思う。

ちゃんと家庭があれば、さすがに家族の目というけん制効果によって、あまりにインチキな食べ方にはブレーキがかかるはずだ。

そんなつもりはないのだが、これって一般的には「生活が荒れている」という範疇に入ってしまうはずだ。

誰のせいだろう。

自分のせいだ。

ここで懺悔したことを機にちゃんとしようと思う。

2 件のコメント:

道草人生 さんのコメント...

僕も同じように残すと祖母から叱られました「戦地の兵隊さんは、食べたくだってご飯一膳しか食べられないんだよ、しっかり食べなさい。」いやはや、いつの時代の話ををしているんだか.....。

まあ昭和40年代は戦後30年経ってませんかから、今、バブルの頃を振り返るよりも記憶に新しかったんでしょうね。

そのしつけのせいか、自分もそうですが、他人様が弁当の蓋についたご飯つぶを食べずに残すと今でも気になってしまいます。

富豪記者 さんのコメント...

道草人生さま

いま思えば我々の少年時代はご指摘の通りで、戦後の混乱期の記憶がまだホヤホヤ状態だったんでしょう。20年30年前って中年にとっては割と最近ですもんね。