2023年2月6日月曜日

シメの一品

 

飲んだ後に「シメの一品」が食べたくなるのは私のデブを完成させた要因である。これまでの人生でシメに何かを食べるという行為をしなければきっと私の体型は「目黒蓮」ぐらいシュッとしていたはずだ。

 



飲んだ後のラーメンには中毒性がある。普通の人ならアッサリした醤油ラーメンで済むのだろうが、私の場合は味噌ラーメンを選びがちだ。

 

とはいえ、もともとそんなにラーメン好きではないので酔った後に食べたくなるのはドンブリ飯のほうが多い。吉野家や松屋の看板ってホロ酔い気分だと催眠術にかかったように魅惑的に感じる。不思議だ。色彩心理を研究した結果の看板デザインなのかもしれない。

 

飲んだ後にわざわざ別な店に行くより飲んでいた店でシメの一品を頼むほうが効率的だし、サイズ的にもドカ食い防止になる。最近はなるべく一軒の店で完結するように心がけている。

 



焼鳥屋さんで飲んだ後のそぼろご飯などは、その後に牛丼やラーメンを食べるよりはるかに健康的な気がする。大袈裟に言えば寿命にかかわる問題だからなるべく小さめのご飯で済ますべきだろう。

 

ちょっと高級路線の焼鳥屋さんだとワンダフルな親子丼が用意されていることが多い。あれは危険だ。タマゴの摂り過ぎにもつながるし盛りによってはカロリーも高そうだ。

 


 

そうはいっても間違いなくウマいし、品良く焼き鳥を数本食べた程度の中途半端な状態を一気に満足感に変えてくれるのでついつい注文してしまう。この画像は銀座にある「串銀座」の一品。

 

ドンブリ界の王者はカツ丼だと信じて疑わない私だが、飲んだ後のシメだと親子丼のほうが魅力的だ。コメ、卵、鶏肉、ダシの効いたつゆが見事に融合した日本料理の最高峰と呼びたくなる。

 



鍋の後の雑炊もこれまた日本料理の神髄みたいなものだ。水炊き、ふぐ鍋、クエ鍋、ちゃんこだって良い。鍋に貯まった旨味をコメが吸い上げるわけだからマズいわけがない。「シメ業界の最高峰」と呼びたくなる。

 

と、まともな“シメ論”を書いてきたが、私にとって厄介な問題が「寿司の後」である。寿司好きを自認するくせにナゼか寿司屋で飲んだ後は違う味のものを食べたくなるのが私の悪しき習慣だ。

 

一時期、お寿司屋さんではツマミばかり楽しんで握りは34貫しか食べないことが多かった。後になって満腹じゃないことに気づき別なものを食べるのがクセになってしまった。

 

最近はしっかり握りも食べるようになったのだが、コメをちゃんと摂取して満腹になったつもりなのにナゼか「シメの何か」を求めてしまう。

 

口の中が魚っぽく?なったのを消し去りたいのだろうか。だとしたら寿司が嫌いな人みたいである。最後にコハダあたりで終わらせると必ずジャンクフードが欲しくなる。コンビニに寄ってチンするだけのナポリタンなんかを買ってしまう。

 

コンビニのパスタぐらいならまだしもウーバーでマックを注文しちゃうことも多い。30代ぐらいの頃に「寿司屋の後はフィレオフィッシュ」という謎の習慣が身に付いてしまって以来の悪いクセだ。

 


 

一応、魚つながりを意識するせいでフィレオフィッシュを選びたくなる。寿司で酢っぽく?なった私の口をあのタルタルソースがうまくまとめてくれる。気のせいだろうがたぶんそんな感じ。

 

ホロ酔いだからフィレオフィッシュを最低2つは食べてしまう。でも不思議なものでフィレオフィッシュを二つ食べると今度は肉肉しいハンバーガーも食べたくなる悪循環が始まる。

 

そんな最悪な事態を避けるのに有効なのが以前にも紹介した「フィレオダブチ」である。フィレオフィッシュとダブルチーズバーガーの合体バージョンである。

 



 しょせん、などと言ってはいけないのだが、しょせんマックだから味の系統にどこか通じるものがあるのだろう。肉と魚のミックスでもちっとも味がケンカしないのが魅力だ。ケンカしないどころか味に複雑さが加わる。ちゃんと美味しい。

 

味の良さだけでなくビックマックよりも何となくボリュームがあるように感じて満足感も得られる。「ジャンクな男メシの最高峰」とでも呼びたくなる。

 

シメの一品に分類するにはかなりヘンテコだが、このブログを読んでいる皆様が寿司屋の後に別なもので満腹感を味わいたいと思ったならゼヒ試して欲しい。きっと新たな世界が見えるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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