今年80歳になるロバート・デ・ニーロに最近子供が生まれたそうだ。ただただ尊敬する。ひいお爺ちゃんでも不思議じゃない年齢でパパになったわけだから偉人だ。
マネしたいかと言われたらさすがにノーである。いまさら子育てなんて体力的に無理な話だ。
大富豪だったらすべてを人任せにしていっぱいお金を負担すればいいのだろうが、そうは言っても時々は「アブブブブ~!」とか「お腹すいたんでちゅか?」とか「いないいないばー」とかをしないとならない。大変だと思う。
クリント・イーストウッドは66歳、ジョージ・ルーカスも69歳で子供を持った。ミック・ジャガーも確か70歳を過ぎてから子供が出来たそうだ。皆さん凄いエネルギーだと思う。
日本ではかつて加山雄三の父である上原謙が70歳ぐらいでパパになったり、ファンファン大佐・岡田眞澄が60代でパパになったことが話題になった。そういえば郷ひろみも58歳で双子のパパになったらしい。
皆さん家に帰ったら「アブブブブ~」などと言ってたのかと思うと尊敬に値する。普通ならありえない歳で子供を持つことは究極のアンチエイジングなのかもしれない。
男としていつまでも女性の尻を追いかけるのは分かるが子供まで欲しいと考えるのは凄いと思う。きっと純愛体質というか愛情が深いのだろう。余計なことを考えずに相手の女性との間に愛の結晶を欲しいと思うわけだから実に正直かつ誠実な姿勢だと思う。
もっとも単に投げやりな気持ちで“出たとこ勝負”みたいに避妊を考えない人もいるのだろうが、上に書いたような皆様がそんなパターンだとは思いたくない。きっと純愛主義者だと思いたい。
女性を追いかけるのは男性の生殖本能だ。誰がどうしようと不思議ではないが、地球上で唯一、一般的な生殖年齢を過ぎてもそういう行為をしたがるのは人間だけである。人間以外のすべての生き物は“適齢期”以外にはそういうことをしない。
人間は大脳が発達したことによってセックスを単なる生殖行為から愛情表現やレジャーみたいな路線に広げてきたわけだ。いわば、中高年、はたまた老人になってもそういうことが出来るのは人間だけに許された特権みたいなものである。
だとしたらそれを堪能しないのはもったいない話である。機能的にダメになったら仕方ないが、そうじゃないのに引退しちゃったような顔をして生きていくのは宇宙の真理に対する挑戦である。
私ぐらいの年齢になると男性陣は大きく二つに分かれるイメージがある。まだ機会があれば頑張るためにアンテナを張っている男と、もうそういうのは卒業したよとスマシ顔をしている男の2種類だ。
いい歳して過剰にギラギラしているヤツは困ったものだが、男という生き物であることを忘れちゃったようなヤツも感心しない。適度に現役。この部分は忘れてはいけないと思う。
別にいちいち女性とネンゴロにならなくたって構わない。食事や酒を楽しむだけだって時にはドキドキしたりハラハラしたりする。そんなシチュエーションを楽しむことまで“卒業”しちゃうのは淋しいことだ。
最近、何を勘違いしたのか若者しか見ないような高校生純愛映画を立て続けに観る機会があった。きっかけは娘に勧められて観た「君の膵臓を食べたい」という映画である。
なんとも不思議なタイトルである。だいぶ前に若い世代の間で大ヒットした映画である。正直言うと、この春すい臓ガンの精密検査を入院して受けたばかりだから観る気になった。
いい映画だった。泣いてしまった。見終わってみればこのタイトルも実に深い。何とも切ないストーリーに胸が締め付けられた。自分にまだそんな感性が残っていることを嬉しく感じたぐらいだ。
若い頃の純愛など今の自分には無縁なものになってしまったが、思い出せば自分にだってそんな時代はあった。キュンキュンしていた頃を思い出すだけでもこういう映画に浸ってみるのは悪くない。
その後もいくつか“高校生純愛系どっちかが死んじゃうパターン”の映画を観た。「君の膵臓を食べたい」に比べればどれもイマイチだったが、どの作品もいわば「私の分まで生きてね」という部分がキモになっていた。
というわけで、一気にさきほど書いた高齢者色恋話に話を戻す。「私の分まで生きてね」ならぬ「私の分まで奮戦してね」である。男であることを卒業しちゃった中高年の中には機能的な問題やさまざまな事情で女性の尻を追えなくなった面々もいる。
そんな人たちの分まで頑張れる男は頑張らないといけない。適切な生殖年齢などウン十年前に終わっているが、そんなことは気にせず人類にだけ許された煩悩をしっかり味わって生きていこうと思う。
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