イオニスト。ララポーター。最近聞くようになった言葉だ。イオン、ららぽーとで買い物や食事、デートまで手軽に済ます人々のことを指す。大都会に憧れることなく地域密着型で暮らす若者をマイルドヤンキーと称するのと似た感覚だろう。
若者の幸福度は7割を超えているらしい。格差の拡大、貧困の固定化といった暗い世相なのに一種のあきらめが幸福の概念を小さく縮めているようだ。
非正規だろうがそこそこ給料がもらえてマックでお腹が満たせてスマホ代が払えて日々何となく楽しく過ごせることを幸福だと感じるらしい。何ともビミョーな話だ。
「足るを知る」という考え方はもちろん大事だ。不平不満を募らせるより現状を肯定することは生きていく上で必要な考え方だ。でもそれって結構なキャリアを積み重ねた上の大人の世界での話である。20代の若者が小さくまとまって上昇志向を持たないことと混同してはいけない。
この30年近く世間に漂っているのが閉塞感だ。閉塞とは文字通り「閉じてふさがっていること」の意味だが、しばらく辛抱すればいずれまた道が開けるのか、永遠にふさがれたままなのか、その違いは大きい。元気な若者世代が動き回ってくれないと閉塞した状況が固定化しそうな気がする。
バブル世代と呼ばれた私のような年齢層は時代に恵まれていたのは事実だ。高度成長期に育ち、ぐんぐんと国が力を付け“ジャパン・アズ・ナンバー1”といった今では信じがたいフレーズが罷り通っていた時代だ。それこそ強力な円の力を背景に「アメリカを買っちまえ」などという暴論さえ珍しくなかったほどだ。
あんな時代に若者でいたことは幸運でしかない。放っておけば経済や自分の収入も右肩上がりに上昇すると盲信していたわけだからヒドい話である。今の若年世代に何事かを説いたところで説得力がないのは確かだろう。
それを踏まえた上でも「時代のせいにして逃げるのは簡単だ」ということは強調したい。若者にはいつの時代にも直情的なパワーがあり、中途半端に世渡りを覚えた中高年よりも遙かに無鉄砲さや大胆さ、簡単に達観しないエネルギーという武器を持っている。
その武器を磨かずに仕舞い込んでしまい疲れた中高年と似たような行動パターンで過ごすのは実にもったいない。まさに宝の持ち腐れだ。
ホストの帝王・ローランドの名言?に「夢って寝ながら見るものじゃない」というのがある。言い得て妙である。次から次に夢を描けるのは若年世代だ。大谷翔平だって高校時代に細かい目標達成チャートを作成していたことが有名だ。あれを50歳を過ぎてからやれと言われても無理がある。
上昇志向に背を向けて、ちまちまとした幸福感に浸ってしまう若者が増えている現状は、逆に言えば上昇志向を持った若者にとってはチャンスだろう。言葉は悪いが、上流下流のうち上流の立場に立つための競合相手が少なくて済むという理屈にもなる。
20代の頑張りって必ずそれ以降の人生に好影響を与える。その10年の間に蓄積された力は中年になったら20年、30年経っても敵わないぐらい意味のあるものになる。
退屈な成人式の訓示みたいになってしまった。イオニスト、ららぽーたーについて書き始めたら収拾がつかなくなってしまった。
今週また引っ越しをしてすっかり「中央区びいき」になってしまった自分をイオニスト達と似たようなものだと書きたかったのに迷走してしまった。
この5年で3度目の引っ越しである。中央区に来て新富町、八丁堀に続いて今度は日本橋である。どうにも狭いエリアだけで行動している。冒険心が欠けているが、東京の中心地だけに便利さもあってこのエリアが妙に気に入ってしまった。
杉並区生まれの私にとって銀座や日本橋は子供の頃には縁遠い場所だった。一種の“オノボリさん感覚”で過ごしているのかもしれない。いつかは浅草に家を構えて夜ごとオヤジ的晩酌に適した店をハシゴしようと考えているのだが、そんな“夢”はまだ先になりそうだ。
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