2011年8月5日金曜日

ダウンちゃん奮戦中

このブログにたどり着いていただいた人の中には、ダウン症関連のキーワードをきっかけにリピーターになってもらった人も多い。

今日は、そちら方面の話題を書きます。

生まれつきダウン症という宿命を背負った我が家の息子は、いま4歳半。有難いことに視力が弱いことのほかは目立った合併症も無く、ゆっくりと育っている。


先天的に体温のコントロールが苦手な傾向にあるため、今の季節は寝ても覚めても汗をたくさんかく。中年オヤジみたいでちょっとおかしい。

身体の面では、同年代の健常児と大差なく育っているのに、知能の面では、2歳弱、1歳半レベルだろう。

何かしゃべっているのだが、まだまだ会話のレベルではない。こちらが言い聞かせようと思っても理解度は1歳半。身体は4歳なのに知能がまだついて行ってないことは、親としてはちょっとシンドい。

体力勝負だ。

4歳児といえば、普通はたいていの身の回りの作業をこなせる。我が家のダウンちゃんは、いまだに自分では着替えられない。トイレに行きたい意思は親に伝えることが出来るものの、勝手にトイレに行ってズボンやパンツをおろし、用を済ますことが出来ない。

便座に持ち上げるのもヨッコラショだし、突然昼寝しちゃってどこかに運ぶ際にもヨッコラショだ。

散歩に行っても、まだ帰りたくないと暴れ出せば、無理やり、抱っこや肩車で運ばないとならない。クルマの乗り降りも自分で出来なくはないが、ノロさに根負けして、結局、ヨッコラショになってしまう。

しょっちゅう腰が痛くなる。どうせ腰が痛くなるのなら「腎虚」あたりを理由にしたいが、アイツのせいで腰や腕が痛い。

そうは言っても彼は彼で気の毒ではある。頼りの父ちゃんは、いまやすっかり若者の頃の元気さを失い、身体を張って遊んでくれるわけではない。

もっと激しくヘトヘトになるような遊び方をしてやりたい気持ちもあるが、結局、週末に散歩に連れ歩くぐらいだ。

不思議なもので、散歩に連れて行ったり、近所の公園に連れて行ったあとは、彼は私に異様に親しげになつく。普段遊んでいない時とはまるで態度が変わる。

動物的感性とでも言おうか。丁寧に相手してくれたり、遊んでくれた相手を殊更、重要人物だと認識する。

最近の週末は、そんなこんなで、私の書斎兼寝室に頻繁に登場する。赤ちゃん対策商品である「通せんぼゲート」のような脱走防止用扉をいとも簡単に突破するようになった彼は、私の部屋を集中して破壊しに来る。

彼にとって、私の部屋は探索場所として魅力的らしい。タバコや灰皿、パソコンやiPodやiPad、カメラにビデオ、水中撮影機材、工具の他、無数の引き出しも引っ張り出して楽しめる。サウナやエロ本なんかもガサゴソいじっている。

私がいないスキに侵略されると、書斎兼寝室は、まさに破壊的状況に陥る。先日もガムテープ1本分がまるまる芯から引きはがされ、部屋中にベタベタ散乱していた。

今、私の部屋のテレビのリモコンが紛失中。居間のエアコンのリモコンも紛失中。固定電話の子機もずーっと紛失中。上の子が大事にしていたWiiのソフトも2本紛失中。

すべてアイツの仕業だ。

先月、私が8日間ほどフランスに行っていた際には、最初の3日間連続で私の部屋に乱入。日々、あるじが不在だったせいで、3日目に「もういい!」と叫んでパタッと覗かなくなったらしい。

その程度の知恵、というか判断能力はあるみたいで感心した。

最近は保育園でも同年の友達の遊びについていけなくなり、ポツンと一人で遊ぶ時間が増えたらしい。

1歳年下のやはりダウン症の女の子と二人にしか分からない宇宙語で慰め合う場面も増えてきたそうだ。親としては、いよいよ特殊な環境で彼が生きていく現実を突きつけられた気分になる。

思えば、このところ、街行く人からあからさまに不快な表情を示されることが何回かあった。

健常児とはやはり異なる風貌のせいで、彼は今後、数え切れないぐらいそういう経験をしていくのだろう。

それも現実だ。

そういう表情を向ける人をどうこう言っても始まらない。「未知なもの」、「異質なもの」への嫌悪感は人の感情として自然なことだ。

綺麗事ではなく、それが社会の本音だから馴れるしかないのだろう。

私自身、わが家のダウンちゃんと出会う前は、障害を持つ人達にそういう表情や視線を無意識のうちにむき出しにしていたのかもしれない。

わが家のダウンちゃんは、なぜだか、障害を持った人達を見つけると親しげに手を振ったり、近づいたりする。

もちろん、彼自身が幼いので、特別な意識であえてそういう動きをしているわけではないのだろう。ただ、見ているこっちとしては実に不思議な気分になる。彼の辞書に偏見という文字はないのかも知れない。

毎朝、わが家の前を電動車椅子で通過する身体の不自由な30歳ぐらいの男性がいる。
わが家のチビは、保育園の通園時にその人に出会うと、必ず握手と挨拶を交わす。

お互い通常の会話が出来ない状態なのだが、二人で楽しげに挨拶しあっている。

おかげで私も通勤時に時々すれ違うその人とは、元気に挨拶を交わす間柄になった。こんな体験自体、わが家のチビのおかげだ。

ダウンちゃんのおかげで知ったこと、気付いたことは無数にある。強がりではなく、自分の糧になったことは確かだ。そういう点では、有難い限りだが、先行きへの不安が消えないのも事実ではある。

まあ、親がどんな思いをするかよりも、チビ自身が、これからいくつもの葛藤と向き合うことのほうが気の毒ではある。

ひょうひょうと乗り越える強さを身に付けてもらいたい。キリッとした大木の強さ、張り詰めた枝の強さではなく、柳の枝のようにしなやかに折れることなく受け流せる強さを身に付けてもらいたい。

そんなことを真面目に考えていても、アイツの福笑いみたいな変な顔を見ると、不思議と「なるようにしかならないな」という単純明快な結論が頭に浮かぶ。

ひょっとすると、こちらを楽天的な気分にさせてくれる能力を隠し持っているのかも知れない。

そういうことにしておこう。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はじめて書きこみます。
このTシャツ、どこで購入されたんですか?
私が着たいくらいです。
二週間前に次女を出産。その夜、先生から
「たぶんダウン症でしょう」
と言われ、染色体検査結果も出てないのに
無責任なこと言うな!このヤブ!と腹を立てましたが
その夜一晩泣き明かした自分にびっくりしました。
いまは上のきょうだい(五歳、三歳)の
無条件な溺愛ぶりとこちらのブログを励みに育児してます。
やはり物書きを仕事にされてるだけあり
最後にオチがついてるところなんて
ステキです。
そしてお子さんを見る視点の客観性、これまたステキです。毎回100%吹き出してます。
その裏側には様々な葛藤が今でも
おありでしょうが
私も見習いたいです。
そうか!文字にして残すというのは
大切なことかもしれん、
と改めて感じました。
これからも楽しみに読ませてもらいます。
あっお子さん以外もちゃんと読んでますよ。
では。
たまきより

富豪記者 さんのコメント...

たまきさま

コメントありがとうございます。
上にお子さんがお二人いらっしゃるのは
心強いですね。

ウチも上の子が救いでした。

子どもならではの純粋な視線と無垢な愛情で
困惑ばかりの親をフォローしてくれました。

葛藤は消えないのも確かですが、ゆっくり育つダウンちゃんが教えてくれることって物凄くたくさんあります。

なかなか受入れにくい、受入れたくない現実だと思います。それが当然の気持ちだと思います。

大事なことを言い忘れてました。

3番目のお子さんのお誕生おめでとうございます!

僕は当時、おめでとうといわれることを嫌っていましたが、何年か経って、公開した記憶があります。

やはり何かの役目をもってやってきてくれたんでしょうから、おめでとうございますと言わせてくださいね。

あのTシャツはどこかの温泉地でウケ狙いで売っていたモノなので、ちょっと正確に場所が思い出せません。すいません!!

今後ともよろしくお願いいたします!