2011年8月26日金曜日

島田紳助と前原前外相

島田紳助の引退で世の中、結構大騒ぎだ。正直、どうでもいい話だとは思うが、テレビの影響力を考えるとニュースバリューは高いのだろう。

割を食ったのが、奇しくも島田紳助と同じく京都を地盤にする前原前外相だ。つくづく運の良くない人だと思う。

満を持して、それこそ真打ち登場のようなイメージで、民主党代表選、すなわち日本の総理大臣指名選挙に出馬しますよとブチあげたはよいが、発表翌日のニュースは島田紳助一色。

国民の意識の中で、あきらめムードが強い政治の世界と比べて、島田紳助問題のほうが大事なニュースだと言うことなんだろう。

まあ、真相は知らないが、有名人であろうが、一民間人である島田紳助が暴力団とちょっと関わりがあったというだけで引退という結論になったわけだから、潔いといえば潔い。

潔さという意味では、菅直人とか、もっといえば鳩山由紀夫にこそ見習って欲しいものだ。

次の総理大臣選びをめぐっては、結局民主党も昔の自民党と同じで主流派だの非主流派だの派閥闘争がベタベタだ。「小沢史観」なるわけの分からない言葉まで飛び出し、てんやわんやの様相。

本命視されている前原前外相だが、言うまでもなく外相ポストを手放したのは、外国人からの政治献金問題が発覚したから。

それから半年も経っていない今、「総理になりたい」って言い出して、周囲からも本命と目されている現状が気になる。

だいたい、つい先週あたりに出馬するかどうかを聞かれて「自分には覚悟も能力もない」と明言した人だ。能力も覚悟もないなら頼むからおとなしくしていて欲しいと思う。

外国人からの違法献金問題は、古くからの知り合いである在日韓国人の飲食店経営者からのもので金額も少額。それゆえに「大したことのない話」という受け止め方が一般的だ。はたしてそうだろうか。

政治家の仕事、国の仕事って何だろう。自国の安全確保と国益の追求に尽きる。国際社会の一員という建前の中で、あくまで自分の国のエゴをゴリゴリ押し通すのが仕事だ。

外国からの影響を排除するために政治資金規正法で外国人からの政治献金が厳禁されていることは当たり前であり、政治のイロハのイであり、一丁目一番地だ。

この考え方は、決して偏狭な国粋主義とは違う。国という存在、それを動かす政治家という存在を考えるうえで当たり前の話だ。

前原氏の問題の場合、在日韓国人の知人が日本に長く根を下ろしている人だったこともあり、あまりにエモーショナルな反応だと、結果的に在日韓国人の人達への差別問題になりかねないという側面もあって、世論やメディアも「ケアレスミス」でコトを済まそうとしてきた部分があるのだろう。

これも変な話だ。まったく別問題だ。「日本の政治家は外国人から政治献金を受けてはいけない」という大原則に違反したことを問題視することは、外国人差別とはまったく異質の話だ。変に混同するから論点がおかしくなる。

何のためのルールなのか、あくまでルールがある以上、脱線したら糾弾されて然るべきだし、責任は問われて当然。

おまけに、献金してきた人との付き合いの古さだとか、献金額が小さいことで見過ごされていいはずはない。

もちろん、前原氏に献金した人をどうのこうの言うつもりはない。あくまで一般論としての危うさを指摘したい。

考えようによっては、暴力団とそこそこの付き合いがあった島田紳助よりも、外国人から政治献金をシレっともらっていた前原氏の体質のほうがヤバい話じゃないかと思う。

有名芸能人だから青少年に影響を与える、とかなんとか言う理由で引退までするハメになった問題と、国家のリーダーとなろうとする人間が犯していた危険性。考えただけでどっちが大問題か分かろうというもの。

仮にこの国に影響を与えたい外国勢力があったとする。古い付き合いならいいとか、金額が小さければ献金が許されちゃうなら、それを逆手に長期に渡って緻密に日本の有力者に工作を仕掛けることだって可能になる。

国際的な謀略とかマインドコントロールなんてものは、ほんの少しのスキや油断を突いてくるのが当たり前だ。実際に某大陸から長年にわたって懐柔されてバリバリのシンパになっている国会議員の多さがその証しだ。

いざ国益を左右しかねない問題に直面した時に弱腰になってしまうのが人間の情というもの。魑魅魍魎がうごめく国家間の覇権争いだって、結局はそういうところを突いてくるものだろう。

総理大臣は言うまでもなく国権の最高責任者であり、有事の際には国防の最高指揮官である。外国人献金問題は「のど元過ぎた」話ではないことを強く訴えたい。

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