2012年9月10日月曜日

日本的なもの

いつまでも若造気分の私だが、世の中の人口分布においては、どう逆立ちしても若者ではない。

10代、20代の頃の話が、もう四半世紀以上前だったりするわけだから、見る人が見ればいっぱしの長老だ。

30年ぐらい前、初期青春時代とでも言おうか、高校生ぐらいでイキガっていた頃、格好いいものといえば、「アメリカ的なもの」だった。

ヨーロッパよりアメリカ、身に付けるものや食べるもの、聴いていた音楽、見ていた映画、追いかけたい流行すべてがアメリカ追随だった感じだ。

アメリカによる戦後ニッポンへの洗脳の凄さを今更ながら痛感する。「日本的なもの」の全否定から出発した戦後の教育や社会の雰囲気作りの成果をもろに受けて育ったのだろう。

いまでこそ、小洒落た和風ダイニングで若者がデートしているが、四半世紀前なら横文字の店でカタカナ名前の食べ物を一生懸命食べるのがイケてる?若者の姿だった。

「日本っぽい店」はオッサン専用の小料理屋とかだけで、若者のテリトリーではなかった。

外食自体がここ2~30年で急速に一般化したことも理由だろう。ハレの日以外には外食などしないのがごく普通の日本人の姿だったから外食といえば、普段馴染みのない食べ物が中心。必然的に家庭で食べるような料理を出すような和風居酒屋とか和風ダイニングなどは見当たらなかった。

そんな事情もあったとはいえ、昭和50年代の若造にとっては、「日本的なもの」はスタイリッシュに見えなかったのも事実。いま思えば滑稽だが、そんな空気が漂っていた。

日本に上陸したての「ウェンディーズ」とか「シェーキーズ」なんかはオシャレな店だったし、「アンナミラーズ」とか「イタリアントマト」だって、流行のアイテムだった。

「ポパイ」とか「ホットドックプレス」などの若者向け雑誌も、なんでもかんでもカリフォルニアが一番だぜ!みたいなヘンテコリンな路線で若者を洗脳していた。若者も純だったから無条件でそれを信じた時代だった。

その後、バブルの頃があって、そこからまた疲弊して意気消沈したニッポンには、自然発生的に「内向き」の空気が広がり、政治やオピニオンの分野でも徐々に右側の論調が広まってきた記憶がある。

アメリカの洗脳が解けたというより、ごくごく当たり前の適度な愛国心や正論が普通に語られるようになっただけだが、ほんの2~30年前に比べてれば様子が変わってきたのは確かだと思う。

気味の悪い右傾化は感心しないが、当たり前のレベルで自国に愛着心を持つのは必要だし、それすら覚束なかった昭和後半の迷走状態のほうが不自然だったと思う。

今では、「日本的なもの」は和モダンという言葉に象徴されるように全般にデザイン力のアップも加わって、充分にお洒落な存在になっている。

建築物や空間しかり、着るものもしかり、Jポップなる表現で日本の音楽が独自の道を開き、邦画も昔より断然活気がある。良いことだと思うし、昔より健全化が進んだように思う。

そうはいっても、国の元気の無さに引きずられて内向きになってしまった若者は、海外に出かけることもせず、ションボリしているから困ったものだ。

元気の無さとか、外に向けるエネルギーの弱さが、国内に目を向けさせる要因だとしたら恐いことだが、それでもヨソの国の猿マネばかりを格好いいと信じ込むよりはマシなのだろうか。

今日は書こうと思っていたことと全然違う内容になってしまった。そんな日もあるか。

よく分からない話に終始してしまってスイマセン。

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