馬と聞くと何を想像するだろう。草原を疾走する美しい姿か、それとも競馬場のサラブレッドか、はたまた馬刺しかサクラ鍋か。
どれも魅力的だ。
もともと馬は神様の乗り物として尊ばれていたし、絵馬だの左馬といった縁起物系に登場することも多い。
実際にその姿を近くで見ると実に美しい。犬やネコや熊や鹿や牛や豚と比べても断然美しい。なんとなく別次元の生き物に見える。
そんな馬に敬意を表すため、先日行った函館でも競馬場に足を運んでみた。ギャンブルのためではない。馬を見るためだ。
そう書くとチョットかっこいい。
競走馬の美しさは別格だ。パドックでボケッと眺めているだけで、筋肉美や毛並みの美しさに見とれてしまう。
ランウェイを歩くかのような十数頭をじっくり見ていると、ついつい馬券も買ってしまう。私の場合、目が合った(ような気がする)馬をついつい買ってしまう。
で、散財する。
だいたい、競馬場のカネのかかった施設を見れば、儲かるのは胴元だけだとアホでも分かるのに何故か馬券を買ってしまう。
競馬新聞を読むわけでもなく、自分の誕生日だとか、好きな数字とか、そんな基準で単勝とか枠連を買うだけの私に幸運が舞い込むはずはない。
縁起物の左馬のいわれはいくつかあるが、「うま」を逆さにすると「まう」になるからという説もある。
私の馬券はいつも紙切れになって空を「舞う」。そんなもんだ。
食べてもウマいのが馬である。江戸時代、吉原につづく大門の門前にはサクラ鍋屋が何件も並んでいたそうだ。
馬肉は別名「蹴飛ばし」ともいわれる。そのぐらいパワーがつくという意味だ。遊郭で朝までズコンズコンとハッスルするための栄養源だったわけだ。
都内の老舗といえば深川の「みの家」とか、三ノ輪の近くの「中江」が有名だ。職場や家から近ければ頻繁に通いたいところだが、なかなか行く機会がない。
銀座の「こじま屋」も悪くなかった。レバ刺しなんかも食べられるし、上等な部位をアレコレ焼いて楽しめる店だ。
先日、千代田区某所にある某店を訪ねた。馬以外にもアレコレ楽しげなメニューが揃っていてワイワイ飲むには良さそうな店だった。
馬刺しも新鮮で臭みもなく、焼酎のアテにばっちり。その他、馬肉のタルタルステーキとか部位ごとのグリルとか、それなりに楽しめた。
シメに頼んだ馬肉のパエリアがオヨヨって感じだった。油が悪かったのか、何が原因か分からないが、気持ち悪さが翌日まで残ってしまった。
たとえ遠くても定評のある老舗に行った方が間違いないのは分かっているのだが、ついつい開拓精神が頭をもたげて失敗する。
先日も文京区内の某うなぎ店で、ありえないほどマズい白焼きとマズいお重に遭遇して倒れそうになった。長く生きてるクセにどうしてアホな失敗をしてしまうのだろう。
きっと、馬や鰻に対する日頃の信仰が足りないかもしれない。反省。
競馬に話を戻す。
元々ギャンブルをやらない私が初めて競馬場に足を踏み入れたのが函館だ。
寿司屋でさんざん昼酒を楽しみ、酔いざましに散歩していた時にフラフラ入ったのが初体験。
その後、函館競馬場は全面改修で休業していたが、今回久しぶりに新装なった綺麗な競馬場をうろうろすることが出来た。
旅先で競馬場にいると、なぜだか気分が高揚する。旅という異次元感覚とギャンブルという夢追い体験が融合するわけだから妙に楽しい。
わざわざ遠方までギャンブルに出かけることを「旅打ち」というそうだ。なんとなくロマンを感じる言葉だと思う。
日本全国「旅打ち」に出かけるような、そんなヤサグレた感じにチョット憧れたりする。
男はいくつになっても不良を気取りたい生き物なんだろう。
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