ドロドロの不倫ドラマ「昼顔」にハマってしまった。話題になっていたのは知っていたが、連ドラを途中から見る気にもならず放っておいた。
ところが、アチコチで話題になっているし、ついには、中学生の娘がやたらと面白いと絶賛していたので、今までの放送分をインターネットで全部見た。
いやあ、面白い。キムタクのドラマより百倍面白い。エゲツない大人の現実がテンコ盛りだから娘には見て欲しくないが・・・。
その昔、「金妻ブーム」が起きたように、世の中の人は実は「不倫大好き」である。変な言い方だが、昔から「ヨロメキもの」がヒットするのがその証である。
もちろん、実践するしないは別である。社会的に否定される行為だが、いじらしい恋愛という側面もあり、何ともいえない「やるせなさ」に多くの人がシビれる。
不倫モノがブレイクするのは、ある意味「寅さん」が国民的映画になった構造と同じだ。
寅さんが大人気になった昭和の高度成長期は、みんなが生真面目に秩序を守って我慢しながら生きていた。
寅さんは正反対だった。勝手気ままに生きている。駆け引きにも無縁で、口から出る言葉も潔い正論ばかり。
息苦しく生きていた多くの人達が、寅さんに憧れて夢を見た。自分には許されない勝手な気ままな生き様を寅さんに投影した。
最終的に寅さんはふられてばかりで常に残念な結末を迎える。ここがミソだった。寅さんが幸せになることは、世の中に横たわる秩序を乱すことになる。
結局、真面目に生きなきゃね、落ちこぼれちゃダメね、という反面教師役を寅さんに担わせることで一件落着という仕組みだった。
そういう意味では、今回の「昼顔」もドロドロしたまま後味悪くエンディングを迎えた方が世のためなんだと思う。
個人的には、不倫賛美にもっていくような大英断に期待したいが、それはさすがに無理な相談だろう。
不倫に走った男女がハッピーになったら、ドラマに感化されたバカが増えて世の中がおかしくなってしまう。
それにしても、このドラマ、女性からの支持が圧倒的らしいが、男こそ見るべきだと強く思う。
女性のしたたかさ、怖さ、二面性などが妙にリアルで恐ろしいほど参考になる。
男と女は根本的に違う生き物である。理解しようと思ってもムダである。いかに上手に協調するか、いかに折り合いをつけるかを考える以外に平和に暮らす道はない。
親子や兄弟ならともかく、夫婦なんて結局は他人だ。衝突を避けるために一生懸命考えて知恵を出し、時に方便も遣いながら凌ぐしかない。
つくづく、独り者になった自分の境遇に安堵すると共に、一方で変な物足りなさも感じる。家庭があった頃の方が、いろいろと複雑に考えていろいろとハラハラしながら過ごしていた。
あの頃の方が脳みそはフル回転していた。ボケ防止のためにはそっちのほうが良かったかもしれない。
おっと、話が逸れた。
不倫である。「倫理にもとる」である。言葉の字面が強烈だ。あまりに一面的ではなかろうか。押さえつけようとする社会の強い意志を感じる!?
真面目な恋心があっても、どちらかが既婚なら不倫の一言で片付けられてしまう。まあ、社会秩序の維持のためには仕方がない。
不倫の形って、だいたい次のように分類できる。
(1) セックスだけが目的の遊び
(2) 癒やしや憩いの場所を求める関係
(3) 自己確認型
(4) すべてを捨てて一からやり直す純愛
不倫だ不倫だと騒いでみても、大半が(1)のパターンだろう。ただ「ヤリたい」だけ。
これは不倫というより、単なる「浮気」ってやつである。いや、気持ちなど無いから浮気ではなく「浮身」といったほうが的確。
これだと風俗に通うのと変わらない。継続した相手がいたとしても「不倫相手」ではなく「セフレ」と呼ぶのが正しい。
(2)のパターンも結構多い。刺激のない日常にスパイスが欲しいとか、ただ満たされない感覚を埋めたいとか、そういう気持ちの色恋だ。夫婦仲が悪けりゃ誰だってこのパターンに陥る可能性はある。
(3)も結構多いように思う。ドラマ「昼顔」で吉瀬美智子が演じている主婦もこのパターンだろう。段々と年齢が上がっていく焦りが奔放な行動につながっている。
世の中のオッサン連中もこのパターンが多い。40代、50代になり、人生が見えてきてしまった時に、「このままでいいのか」、「もうひと花咲かせたい」などとジタバタしたくなる。
恋愛にかこつけて、本当は自分がまだ現役として通用するのかを確認したいだけだったりする。
(2)や(3)のパターンがもっともドラマや映画にしやすい。おきまりの葛藤やゴタゴタが人間の業みたいなものを表わすからハタで見ていると面白い。
激しい恋愛感情を抱いたつもりでも、結局は、現実からの一時的な逃避だったり、自己確認型である以上、家庭を壊すことはない。つまり、不倫相手と正式に一緒になろうとは考えていない。
場合によっては、相手への贖罪意識がかえって恋心を高ぶらせて、ドラマチックな恋愛をしているかのような錯覚につながる。でも、非日常という事態に酔っているだけだったりする。
元の暮らしを投げ出すつもりがない自分のズルさも自覚している。そんな勇気の無さを苦しさや切なさだと勘違いする。結局、相手への罪悪感を恋愛感情とごちゃ混ぜにしてしまう。
そんなもんだろう。
もちろん、胸を張って「私の不倫活動は紛れもなく純粋な恋愛です!」と言う人はいっぱいいるはずだ。確かにそう信じているのだろうし、中には本当にそんな美しいパターンもあるだろう。
でも、終わった後に振り返れば、しょせんは上記の(2)や(3)でしかなかったというケースが物凄く多いのが現実だと思う。
本当に惚れ抜いて、何もかも捨てて一からやり直すような凄い不倫話は、私の周囲では見たことも聞いたこともない。
そんな純愛みたいな話は滅多にありえないから、アノ「失楽園」が大ヒットしたのだろう。
「不倫の果てに結合したまま死ぬ」という衝撃のエンディングは、一種のファンタジーである。大人にとっては「夢一杯のスペクタクルロマン」だ。
退屈な日常にウツウツとしている中高年にとっては、美しく思えちゃうのだろう。現実には心中なんて美しいはずもなく、発見が遅れれば見るも無惨なおぞましい姿をさらすだけ。
まあ、そんな域まで到達すれば、不倫関係も立派なものだ。ロミオとジュリエット顔負けの美しい恋愛ということになるのかもしれない。
今日は、例のドラマ「昼顔」の名セリフを紹介したかったのに全然違う内容になってしまった。
近いうちにそのネタを書こうと思う。
2014年9月3日水曜日
不倫の本質
ラベル: 世相
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2 件のコメント:
主さんも過去のことを思い出して、色々と思うことがありそうですね(笑)
いえいえ、まったく無いです!
過去の記憶はすぐに無くなりますし。
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