「嫌い嫌いも好きのうち」などと言われるが、最近自分の生活パターンが「池袋の人」みたいで少しドンヨリである。
池袋に会社があるせいで、毎日毎日「魔都・池袋」に来るのだが、会社から遠くに住むのもメンドーなので、住まいも池袋からさほど遠くないエリアである。
一応、文京区在住だが、限りなく池袋に近い。歩いて帰ったら30~40分程度で着いてしまう。いろんなことを手近に済まそうと思ったら何はともあれ池袋である。
時々訪ねる歯医者も池袋、常用薬をもらいに行くのも池袋、本屋に行くのも池袋、惰性で入る飲み屋も池袋、足を踏み入れちゃったセクキャバも池袋、オヤジバンドの練習も池袋、ギター教室も池袋である。
どう考えても「池袋の人」になっている。その気はなかったのに知らぬ間にドップリはまっている。まるでASKA被告である。
最近、住みたい街ランキングで池袋が上位になったそうだが、たぶん何かの間違いだと思う。
垢抜けない感じ、怖い感じ、汚い感じ等々、池袋には昔からネガティブイメージがある。残念ながらそれが現実だ。
江戸時代から既に「池袋村出身の女は嫁にもらうな」という伝承がまかり通っていたし、東条英機ら戦犯が首を吊られたのも今のサンシャインのあたりである。
爽やかさ、オシャレな感じとは無縁だし、かといって、下町特有のイキでいなせな空気もまるで無い。
いまでは中華街やコスプレ系のオタクが特徴で、違法薬物のメッカにもなっている。西口、北口周辺はいつでも低速でパトロールするパトカーがウロウロしている。
そういえば、昔、わが社の社員が、突然近づいてきた中国人らしき男にいきなりナイフで刺されて財布を持って行かれたこともあった。
彼は財布に5千円しか入っていなかったのに全治3ヶ月である。池袋恐るべし!である。
池袋の場合、殺されない限り、ニュースにすらならない。実にシュールな街である。
昭和の頃、結構ヒットした(らしい)「池袋の夜」という歌謡曲がある。歌ったのは青江三奈である。
昭和の時代に流行ったご当地ソングの一つだが、数多くの爽やか系の歌手がいただろうに、よりによって青江三奈である。
ファンの人、すいません。
でも、青江三奈で正解である。いまも夜になると青江三奈チックな人がいっぱい闊歩している。
仕事を終えて、近場で軽く飲み食いしようと歩いていると、呼び込みのウザッたさに閉口する。
表通りには大型チェーン店しかないので、ちょっと外れた路地に気の利いた小料理屋はないだろうかとウロウロしてみる。すぐに呼び込みが寄ってくる。
気の利いた小料理屋など、ここ20年ぐらい見つけたことがないのにウロウロしちゃう自分がすべて悪い。
ついでに言えば下品な風俗店がやたら増えた気がする。昔はもう少しわきまえて営業していたイメージがあったがが、いまやバンバン前面に出ている感じ。
青江三奈を若くしたような風貌の女の子がその手の店に堂々と入っていく。ご出勤だ。昔はもっとこっそり入っていったイメージがあるが、いまや威風堂々である。
デパートや家電量販店がいっぱいあって、街自体が小さいエリアに窮屈にまとまっているから便利といえば便利である。
便利なんだけどな~。まさにその一言である。便利なんだけど愛着が湧かない。ここを自分の陣地にしてはいけないと感じる。
でも、充分に陣地にしちゃっている最近の自分の行動パターンが残念である。池袋の軍門にくだったような変な敗北感がある。
で、先日も、通りすがりのイマドキっぽい飲み屋に入ってみた、ウマい鶏、ウマい豚の串焼きが食べられると看板で豪語していたからトライすることにした。
やたらと元気なお兄さん達がやたらと感じよく動き回っている。鶏や豚の串はごく普通だった。池袋の割には強気な価格設定だったから期待したのだが、池袋であまり過大な期待をしてはいけない。
でも、梅たたきサワーはやたらとウマかった。なんといっても池袋である。私としてはあれが飲めれば合格である。
鶏、豚の他に「ダチョウ肉」をウリにしているらしく、当然のように注文してみた。
上からダチョウのたたき、ダチョウユッケである。
初体験である。恐る恐る食べてみたが大正解だった。馬肉をもっとアッサリさせた感じ。ニンニク醬油と合う。クドさもなく、臭味もなく、食感、喉ごしともに中々のものだった。
まあ、人様にわざわざ勧めるようなものでもないが、食べ物の質にさほど期待せずに入った池袋の飲み屋でこういう掘り出し物に出会えると妙に感激する。
この歪んだ?感覚が池袋の楽しみ方だろう。「どうせ池袋」、「しょせん池袋」などと言いながらエラそうに飲み始めたクセに、時々ウマいものに遭遇してビックリする感じが楽しい。
結局、私は池袋の支持者なのだろうか。池袋を愛しているつもりはないが、気付けばホームタウンかのように詳しい。
たまたま顔を出す大衆酒場のライオン丸みたいなママさんとも、いつのまにか顔なじみだ。いつも軽口を叩き合っている自分に気付いてチョッピリ困惑している。
どうでもいい飲み屋の大将と盛り上がった話題が、昔の池袋は夜中になるとアチコチにゲロが散乱していたという思い出話だったりする。
いつのまにか池袋のペースにはめられてしまった感じだ。池袋に依存しないで済むような街に引っ越そうと考えているが、いざとなると面倒になって、ズルズルと暮らしている。
このまま自分の中の「池袋濃度」が強まっていくのだろうか。複雑な心境である。
2 件のコメント:
「リスボン在住」です。
私も池袋人でした。会社が銀座なのに住まいは池袋に近い「一応文京区」でしたし、買い物も映画も食事も池袋ばかりでした。でも何故か好きではなかったです(笑)。
もしかしてファド好きだと池袋がしっくりくるのかも。あの青江三奈が「池袋の夜」なんて歌っていたということは、池袋はファドな街なのでしょう。
ファド・バーが集まるリスボンのアルファマ地区も汚くて垢抜けず、昔はかなり危険な場所でした。でもそういうのに何故か哀愁を感じてしまうんですよ。
引き続き池袋を贔屓にしてやってください。
では。
リスボンさま(と勝手に呼ばせていただきます)
「池袋ファド街」説、確かにそうかもしれまんね。なんだかシュールで、哀愁ただようサウダージな?感じは東京の中でも異質です。
それにしても池袋に近い文京区民だったとは、これまた奇遇ですね!
今後とも宜しくお願いいたします!
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