今年の夏以降、料理屋さんやお寿司屋さんを新規開拓する機会が多い。きっかけはタバコを「休憩」しているからである。
禁煙ではない。しばし忘れているだけである。葉巻をふかす機会は増えちゃったから、健康面ではまるでダメだ。
でも、知らない飲食店に入った時にタバコを我慢するアノ面倒な感じから解放されたことは大きい。手持ちぶさたにならずに済む。でも、その分、お酒のピッチが上がってしまうのは困りものである。
さて、今日は少しばかり辛口の批評を書く。先日、ふらっと入ってみたお寿司屋さんの話だ。一度だけ行った店を悪く書くほど無礼ではないので店の名前はナイショだ。
某日、思いたってそのお寿司屋さんに電話してみた。早い時間なら入れるとのこと。電話の対応も丁寧だったから良い店の気配が濃厚だ。
店に到着。場所は銀座。細い路地に風情のある店構え。店内も清潔で気持ちよい空間だ。まだ30代後半ぐらいに見える大将の挨拶も清々しい。
銀座に店を構えて応対も丁寧で店も清潔、これならマズいものを出される心配はない。
さっそく料理が出てきた。問題なのはイマドキの寿司屋ならではの「おまかせ」を大前提にしている点だ。
「おまかせ」自体は構わないし、そのほうが助かるお客さんも多いのが現実だ。でも、「おまかせ絶対主義」とでも言いたくなるような窮屈さが見えちゃうと、なんだかガッカリする。言葉は悪いが「底の浅さ」を感じる。
予約の電話をした段階で、嫌いなものはないかと確認された。それはそれで丁寧な対応かもしれないが、後から考えてみれば、客の顔を見る前からすべて店側の都合だけで仕切ると宣告されたようなものである。
「おまかせ」といえども、客側の気分やペースに応じて少しは臨機応変に対応してこそプロである。フレンチや懐石料理の店ではなく寿司屋である。銀座あたりでそれなりの値段の店を構える以上、そんなことは当然だと思う。
この日、温かい一品料理からスタートした。出てくるものはすべて美味しい。手も込んでいるし、味付けも絶妙だ。器だってこだわっている。
ビールからお燗酒に変える際には、私が持ち込んだ「マイぐい呑み」をわざわざお湯で温めてくれるなど気配りも凄い。良いお店だ。単純な私は上機嫌になってグビグビ飲み始める。
こういう流れになったら、握りよりツマミを多めにもらいたくなる。これって、ごく当たり前の客の心理だ。
で、大将にそんな気分を伝えるとともに、握りはどのぐらい出す予定かを尋ねてみた。
なんと12貫から15貫ぐらい出てくるらしい。
とてもじゃないが、そんなに要らない。握りはせいぜい7,8貫にして、その分、ツマミを多くして欲しいと頼んでみた。
丁寧な応対をする店だから、それに対して不満そうな反応をされたわけではない。でも、明らかに少し困ったような様子になった。
もちろん、店には店の段取りもあるだろう。それでも、ここはカウンターで店主と対峙する寿司屋であり、それも高級路線の店である。私の要求はトンチンカンではない。
私のそんな単純なリクエストへの大将の答えは「ちょっとお時間がかかってしまいますが・・・」というものだった。
この時、私の他にお客さんは2組。満席でバタバタしていたわけではない。少し不思議な気分になる。
それでも出てくる料理はウマいし、多少お酒も入っていたから、特別難しいことは考えずにノンビリ過ごす。
しばらくすると、私と同じ時間に食事をスタートさせたお客さんに握りを出し始めた。
ふむふむ、リクエストしなかったら、このタイミングで握りに移行するわけだ。確かにタイミングとしては順当だろう。などとボンヤリその光景を眺める。
そして、私には刺身が出てきた。普通に美味しい。その後も2,3種類の刺身が出てきた。
結局、同じ時間にスタートした他の客に出している握りのタネを私にはシャリ無しで出しているだけだった。
まあ、美味しい刺身だったので、それはそれで問題ない。ただ、「ちょっと時間がかかる」と言っていたのは何だったのか意味不明だ。
その後、突然、握りが目の前に置かれた。突然、ぽんと置かれて少し慌てた。「おまかせ」専門なら文句も言えないのかもしれないが、ちょっとビックリだ。
普通の感覚だったら「そろそろ握りますよ」とか「次からは握りになります」とか言いそうなものだが、若い大将は段取りで頭がパンパンになっていたのだろうか。
些細なことなのかもしれないが、客の心理なんて些細なことで乱れたりもする。美味しい寿司なのだが、私としては素直に美味しいと感じられない「偏屈オジサン」のスイッチが入ってしまった。
もちろん、文句を言うほど野暮ではないし、初めての店でそんな指摘をするほど親切?でもない。
続いてはトロが出てきた。私が苦手なトロである。握りに移行する段階でマグロは赤身しか食べないと伝えようと思っていたのだが、一方的な展開になっていたので伝えそびれた。
その後も、いくつか握りを食べた。ウマかったはずなのだが、私としては「店の都合」を食わされているだけという偏屈な気持ちがどうにも収まらない。
仕方なく、最後の3貫は好きなものを注文させてくれと大将に伝えてそうさせてもらった。
「店主はプロなんだから、おとなしく黙って出されたものを食え。」。そういう考えもアリだろう。でも、おこがましく言えば私だって客としてのプロである。自分なりの基準やこだわりもある。
カウンターで店主と向き合うという世界でも希な日本の食文化の華である寿司屋で、ただ出されたものを食べるだけなら実に味気ない。
極端な言い方をすれば、こっち側に座る客は、魚のことも寿司のことも何も分かっちゃいないとレッテルを貼られているような感覚にとらわれてしまう。
考えすぎだろうか。
ブロイラー飼育場に閉じ込められている鶏じゃあるまいし、窮屈で仕方がない。あれでは客も店も勉強にならないし、同じく客も店も育たない。
この店、ネットでの評判を調べてみたら絶賛の嵐だった。グルメサイトに書き込む人達の年齢層などを考えるとそういう結果になるのだろう。
決まったものを一方的に出せばいいのなら、仕入れロスも考えなくていいわけだから経営上も楽だと思う。
幅広く客の希望に応じようとする路線の店より圧倒的に有利だろう。ならば、そういう店と同等の値付けをしていること自体が疑問だ。半額ぐらいでいい。
魚に詳しくない、恥をかきたくない、同行者との会話に集中したい等々、さまざまな客側の理由でこういう路線の食べ方が支持されるのも理解できる。
でも、そんなスタイルだけで通そうとする店はあくまで特殊な形態であり、一般化してもらいたくない。「おまかせ」以外にリクエストされるのが苦手なら、はっきりそれを掲げてもらいたい。
分かっていれば私だってそんな店には行かない。そのほうがお互いイヤな思いをしないで済む。
ここ数年、都内の一等地で凄く若い職人さんがお寿司屋さんを新規開業する話を頻繁に耳にする。ひょっとすると「おまかせ絶対主義」みたいな風潮も影響しているのかもしれない。
もちろん、そうじゃない店もいっぱいあるだろうが、なんだか「若い店」を色眼鏡で見るようになってしまいそうだ。
こんな事を書いていると、すっかり自分が懐古趣味的偏屈ジジイみたいだが、そう思われたとしても、この“問題”についてはブツブツ言い続けたいと思う。
2015年11月16日月曜日
「イマドキ寿司屋」の弱さ
登録:
コメントの投稿 (Atom)
4 件のコメント:
寿司職人になるのに時間が必要というのは黙って親方とお客のやり取りを見て学ぶ時間なのでしょうね。おまかせばかりの店では本当の意味での職人が育たず、客も育たない。結果、日本の寿司文化が廃れるのでは、、、と危惧。大げさかもしれませんが。
コメント有り難うございます!
カウンターを挟んで店主と向き合う寿司の文化は、日本人にとって当たり前過ぎる場面なんでしょうね。
でも、あのやり取りから「間」や「距離感」、そして他の客を手本にしたり、反面教師にしたりといったアレコレを知らぬ間に身につける機会になっているのだと思います。
結局、情緒とか情操ってそんな何気ない場面から育まれるものなので、昨今の即席職人養成コースやおまかせ絶対主義みたいな寿司屋の環境変化は、社会から情緒、情操が失われつつある一つの象徴だと思います。
こんにちは。いつも興味深くblogを拝見しております。
「おまかせ」ってお店にもお客にも「都合の良いシステム」なんでしょうね。ものすごく怠惰だとは思いますがw。回転寿司みたいな感じがします。融通聞きませんしね。
「おきまり」っていうのも違和感があります。「1人前」でいいじゃないとも思ってしまいます。
コメント有り難うございます!
確かに「怠惰」という表現が実はしっくりくる言葉かもしれませんね。
守備範囲の広い店からすれば、おまかせ一辺倒は怠惰ですね。
回転寿司のほうがメニューの選択肢がはるかに多いという点で努力してますよね。
コメントを投稿