味覚の不思議というか、味覚のいい加減なところは気分やシチュエーションで味わいが大きく左右されることだと思う。
30年ほど前、沖縄の久米島に行った時に泊まっていた民宿でダイバー同士で酒盛りになった。ダラダラとビールを飲み尽くして泡盛しか飲むものがなくなってしまった。
当時、本土では今ほど泡盛がポピュラーではなかった。芋や麦といった本格焼酎だって東京ではほとんど普及していなかったから、クセのある泡盛に戸惑いながら渋々飲み続けた。
マズいなあ~と思っていた泡盛が酔いも手伝って、ある瞬間からやたらと美味しく感じ始めた。それからは毎晩泡盛宴会になった。
東京に戻って、エスニック料理屋で泡盛をメニューに見つけたので得意になって飲んだのだが、現地で感じた美味しさとは違う。その後、当時は珍しかった沖縄料理屋で再チャレンジしたが、何かが足りない。
気候風土もそれなりに関係あるのだろう。細かく言えば水割りにする際の水の質が違うから味も変わるという見方もある。
でも、私の味覚はそこまで繊細ではない。結局は気分の問題なんだろう。今も沖縄に行けば毎晩毎晩泡盛しか飲まないが、東京ではほとんど飲まない。
料理も同じ。沖縄料理が時々食べたくなるのだが、現地にいる時との気分の違いのせいか大満足することはない。
ちょっと前の話だが、スペイン料理屋に出かけた。さほどかしこまる必要もない総勢4人での集まりだったので、なんとなくスペイン料理である。
昨年、マドリッドやトレドに旅行した際には、毎日毎日スペイン料理をせっせと食べていた。日本料理屋には目もくれずにアレコレ食べた。
イタリアに行けばワシワシとイタリア料理ばかり食べるし、香港に行けば中華料理ばかり、韓国でも韓国料理ばかり、バリ島でも現地のモノばかり食べる。
外地に出かければたいていは現地の料理を満足しながら嬉々として食べる。
この日訪ねたスペイン料理屋さんは「スペインクラブ」という銀座の店。1階がカジュアルなスペインバルで2階は少し重厚感のあるレストランになっている。
人数も多かったので、生ハムなどの前菜、アヒージョ、パエリアなどの定番料理以外にもアレコレ食べた。
一般的に美味しい店だと思う。雰囲気も良くてオススメである。一応、何度かスペインに行っている私が言うのだからマト外れではないはずである。
でも、どうもウホウホと感激しない。一生懸命考えてみたが理由はただ一つ。
「ここはスペインじゃない」。
アホみたいな話だが、それだけが理由である。私の単純馬鹿野郎ぶりの極みみたいな話である。
それっぽいオッサン達に「アルハンブラの思い出」を弾いてもらっても、チップの金額の心配ばかりでちっともウットリできない。どうも収まりが悪い。
それを言っちゃあおしまいよ~の世界である。料理を作っている人や雰囲気作りに奮闘しているお店の努力には申し訳ない限りだ。でも、それが私の味覚の限界だ。
思えば普段から私がウマいウマいと騒いでいるのは寿司にウナギ、洋食といった東京を代表するようなものばかりだ。
寿司は、コハダや昆布ジメなど、いわゆる仕事をしたネタが好きだし、ウナギはもちろん蒸したヤツ専門で「ひつまぶし」は食べない。洋食だってオムライス発祥の店とかカツレツ発祥の店といった看板に惹かれる。
要は東京の土着料理的なものだからウホウホ喜んでいるのかもしれない。自己分析してみたら、つくづく自分の思い込みの激しさを痛感する。
信州蕎麦は長野で食べるからウマい、皿うどんは長崎で食べるからウマい。ちゃんちゃん焼きは北海道だからウマい。味噌カツも名古屋だからウミャ~と感じるわけだ。
ということで、私がこのブログで書いている食べ物の寸評など実にテキトーだということを改めて宣言したい。旅先で食べたモノなどはその際たるものである。
「そこにいる」ことだけが最上の調味料になってしまっているわけだ。
近いうちに娘と二人で旅行に行く話が持ち上がっているのだが、ハワイならジャンクな肉料理、タイのバンコクあたりならタイ料理、香港なら中華料理ばかりウホウホ食べることになるだろう。
そして、そのすべてをもっともらしくウマい!と断定するハズだ。
つくづく脳天気な人間だと思う。それはそれで幸せなことかもしれない。
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