「ニッポンの洋食」大ファンとして、これまでもオムライスがどうした、タンシチューがどうだ、エビフライが不憫だなどとアレコレ書いてきたが、今日はカニクリームコロッケについて考察したい。
別に「カニ」である必要はない。エビでもチキンでも構わない。クリームコロッケという不当に低い地位に甘んじている存在に光を当ててみたいと思う。
ちなみにこの画像は、銀座にある「南蛮銀圓亭」のカニクリームコロッケとエビクリームコロッケの盛り合わせ。ウットリするほど美味しかったが味は一緒である。
さて、洋食屋さんで主役といえば、シチューやステーキ、カツレツ、ハンバーグといった面々である。クリームコロッケは「ついでの一品」という印象がぬぐえない。脇役である。
脇役がダメというわけではない。主役を引き立てるその力量は軽視すべきではない。でも、主役になれる実力があるのに脇役に追いやられていたら実にもったいない話である。
クリームコロッケはそんな存在だ。前菜とも違うけどメインというわけではない。それが現実的な立ち位置である。
なんでだろう。おそらく芋のコロッケのせいだ。
あいつはお手軽で身近な家庭版ファストフードの代表である。大衆料理の大看板だから同じ「コロッケ」を名乗るクリーム系がトバッチリをくらっている。
ポテトコロッケに恨みはないが、私はジュリジョワっとしたじゃがいもの食感が苦手なのであまり手を出さない。
肉が混ざっていても中途半端な感じがする。肉のクセにジャガイモの子分みたいにまぶされている挽き肉や肉片の頼りなさが気に入らない。肉としてのプライドが感じられない。
個人的かつ偏屈な意見なのでファンの方には御容赦いただきたい。
イモコロッケとクリームコロッケは、明治や大正の頃は、コロッケとクロケットと別々に称されることも多かったらしい。前者がイモ、後者がベシャメルである。
確かにまったく別の食べ物だから、同じコロッケという呼称に問題がある。「コロッケ食べたい」と聞けば普通はジャガイモ系のことを想像する。
ベシャメル系のコロッケはわざわざ「クリームコロッケ」と余分に発音しないとならない。最初から負けている感じがする。
洋食専門店で丁寧に作られたクリームコロッケの美味しさは格別だ。ウホウホフガフガ言いたくなる。こちらの画像は日本橋「たいめいけん」の一品。
合わせるのは中濃ソースでもウスターソースでもいい。カラッと揚がった衣とベシャメルソースが黒いソースという魔法のタレと混ざり合うことで口の中だけでなく脳や心臓まで幸せにしてくれる。
そこにタルタルソースを追加するのも良い。複雑に絡まり合った甘味や酸味や旨味がスペシャルなハーモニー?を奏でる。十二分に主役を張るだけの実力を備えている。
子供の弁当向けの一品だと錯覚している人がいたら大間違いである。大正時代はビフテキより高価だったという説もあるぐらい洋食の世界ではエース級の存在だ。
ちなみにこれは白子のコロッケ。冬の珍味の代表格である鱈の白子を揚げてもらうと「ほぼクリームコロッケ」になる。時々、お寿司屋さんで作ってもらう邪道メニューの一つだ。
単純明快に美味しい。でも、白子にソースをかけるというよく考えたら変な食べ方が少し気になる。「だったら洋食屋に行けばいいじゃないか!」と心の中でつぶやく。
ついでに言うと、クリームコロッケは画像が撮りにくいのが難点である。飲食店で食べ物の画像を撮るのはカッチョ悪いことだと自覚しているが、ブロガーとしての習性?でついついスマホを取り出してしまう。
ウナギやトンカツは絵になるが、クリームコロッケはかっさばかないと冒頭の画像のように単に丸っこい衣の画像になってしまう。仕方なくわざわざ断面が見えるように撮影するのだが、そんな作業に励む自分の野暮極まりない振る舞いが哀しくなる。
でも、そんな手のかかるところもクリームコロッケのニクいところである。
さんざんクリームコロッケを褒め称えておいて何だが、結局私はベシャメルソースが死ぬほど好きなんだと思う。
古くは子供の頃に親が作ってくれたグラタンやドリアが大好きだった。私にとっての「おふくろの味」は間違いなくその二つだ。
この2点の画像はコキールである。銀座の老舗「煉瓦亭」の一品だ。店によってはコキーユという名で出している。洋食屋さんで時々見かけるのだが、あまり一般的ではないのが不思議で仕方がない。
はしょって言えばグラタンやドリアの「上だけ」である。そんな言い方をすると元も子もないが、実にウマい。おかずかツマミか判然としない料理だが、「ベシャメラー」である私にとってはドストライクな食べ物である。
胸焼け太郎として揚げ物であるクリームコロッケを我慢する時でも、これがあれば私の煩悩は満たされる。
これからの人生、残された時間をクリームコロッケの地位向上とコキールの普及を声を大にして主張していきたいと思う。
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