2016年5月16日月曜日

ダウンちゃんとダメパパ


ここ2~3ヶ月、やたらと子ども達に会っている。それまでも制限されていたわけではないが、思うように会えなかった時があったことを思えば好循環である。

理由はいろいろある。そのあたりの背景に触れるとカドがたつので書かないが、とりあえずハッピーなことである。世の中に大勢いる単身赴任のお父さんなどより確実にしょっちゅう会えている。




私が住むマンションに泊まりに来ることも多い。そういう時はいつにも増して「ハッスル父ちゃん」になってしまう。いつもヘトヘトになる。困ったものだ。

最近は、娘からも私の頑張りすぎを注意される。心配もされてしまう。情けない話である。でも、妙に頑張ってしまうのが私の悪いクセだ。

自分の子ども相手に気を遣って過ごすのだからバカみたいだ。

「来て良し、帰って良し」という言葉がある。孫が訪ねてきた際の爺さん婆さんが決まって口にする言葉である。ハッスルし過ぎてクタクタになる私もチョッピリ共感する。

いや、やっぱり帰っちゃうと淋しい。でも、ちょっとホッとする気分もある。それが正直な感覚だが、ホッとしちゃう自分のことをダメ人間だ、父親失格だなどと考え過ぎてウツウツする。

結構なバカである。

なんであんなに頑張るのだろう。きっと見栄を張っているのだと思う。

パパはくすぶらずに元気に暮らしているぞ、パパはお前達のことが何より大事なんだぞ、パパと一緒だと楽しいぞ、といったアピールに必死なのだろう。我ながら御苦労なことだ。

さすがに他人行儀ではないが、娘の前ではオナラだってガマンしちゃうから完全な自然体とも言い切れない。そのあたりがバツが付いちゃった私の贖罪意識というか、一種の十字架?みたいなものなのだろう。

で、今日は下の子の話を少し書いてみたい。

このブログでも何度か書いてきたが、ダウン症の元気な男の子である。あっという間に9歳になった。もう4年生である。わんぱく盛りだ。

過去に載せた話もいくつか紹介したい。ここに載せた話以外でも直接間接にいろいろなご意見やご相談を寄せていただいた。同じような境遇になった人達にとって少しでも参考になればいいと思う。

私の場合、家庭を離脱した以上、エラそうなことは言えないが、これから先こちらが子供二人を引き取る可能性もゼロではない。そうなった場合の諸事情を考える機会も増えた。

さまざまなケースを想定しながら自分でもこれまで感じてきたことを常に振り返るようにしている。今まで感じたことや考えたことはいっぱいある。とりあえず古い順にいくつか並べてみた。

ダウンちゃんとの葛藤

座敷わらし

ダウンちゃん奮戦中

ダウン症 赤ちゃんポスト

障害を持つ子ども



発育というか、成長のゆっくりさは理解しているが、それにしてもスローペースである。まだ3~4歳ぐらいに思える。いや、実際には知能的にももう少し成長しているのだが、話すことがイマイチなのでコミュニケーションの面では3歳児を相手にしているような感覚だ。

ゆっくりとはいえ、いつの間にか一人でトイレや着替えもこなすようになってきた。いずれも健常児に比べれば低レベルだが着実に進歩している。長い目で見るしかない。

言語能力については、いつもうるさいぐらいピーチクパーチク何か言っているので充分に備わっているようだが、発声や発音に大きな問題がある。これが今後の大きな課題だ。

今年に入ってから口の中の手術も受けた。発音を良くするための形成的な内容だ。全身麻酔で邪魔な部分をちょん切った。あと1、2回そんな手術が必要になるらしい。気の毒だが、幼いうちに処置した方が何かと良いそうなので頑張ってもらうしかない。

一般的にダウン症の子どもは、おっとりと穏やかで気持ちが優しいと言われる。ウチの子も3歳ぐらいまではそんな要素を感じたが、今ではいっぱしの悪ガキである。

大好物の「じゃがりこ」は他の人に取られないように抱えて食べる。1本横取りするだけでやたらと怒る。散歩中も行きたい方向に行けないとやたらと怒る。

頑固で一途というのもダウン症の傾向だが、そっちの特徴はしっかり身についている感じだ。それでも、私がクシャミや咳払いするだけで、いちいち「ダイジョブ?」と聞きに来るような優しいところは可愛い。

やりたいことしかやらない、協調性が足りない。これって考えてみれば私の子ども時代と同じである。そんな要素を受け継いじゃったのかもしれない。

親の立場としては、子どものダメな面をいちいちダウン症のせいにしてドンヨリしそうになるが、健常な子どもにだって腹をたてたり嘆いたりする。そう思えば、たいして変わりはない。

ウチのチビは散歩中にご機嫌だとやたらと見知らぬ人に愛想を振りまく。ニコヤカに反応してくれそうな人を彼なりに見抜いているのが不思議だ。

その一方で、機嫌が悪いと誰彼構わず「邪魔。どけ」とか言い出す。そういう言葉に限ってしっかり発音出来ちゃうから堪ったものではない。その都度ペコペコ頭を下げる私の身にもなって欲しいものである。

生意気盛りだから、誰よりも自分の味方であるはずの姉に対しても時に好戦的な態度をとる。勝てるはずはない。結局、姉に蹴られたりして泣いている。

つい甘やかしてしまう父親より、姉のほうがよほどシビアである。容赦せずにぶっ飛ばしている。変に甘やかすのは一種の差別意識みたいなものだから、姉の自然な姿勢が弟にとっては何よりの教育だろう。

というわけで、特に変哲もない話である。そんなものである。ことさら大袈裟に構えたところで何かが変わるわけではない。普通に受け止めるしかない。

確かにこの先の療育や進路などを考えたら悶々とする。とはいえ、健常に育っている上の子だって同じである。今後のことなど悩もうと思えばいくらでも悩める。キリがない。

投げやりという意味ではなく「なるようになる」と居直った方が建設的だし、またそうするしかないのが現実だろう。

私自身、下の子がダウン症だと宣告された時には天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。目の前が真っ暗になった。

あれから10年近くが過ぎ、感じ方や考え方は都度都度変わってきた。これからもまた変わっていくかもしれない。でも当初の感覚とは大きく変わっていくことだけは確かだと思う。

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