私にとって「東京料理」といえば洋食だ。いわゆるニッポンの洋食である。寿司やウナギも大好きだが、あちらは「江戸」である。「東京」だと洋食が頭に浮かぶ。
ヘンテコな区分けでスイマセン。
クリームコロッケやタンシチュー、ハヤシライス、オムライスあたりである。東京が近代化された後にハイカラと称されていたのが洋食だ。
洋食の場合、気軽な定食屋っぽい店と高級路線の店に分類される。ただ、かなり高級路線の店でもフレンチやイタリアンあたりに比べると、何となくスペシャルな印象?に乏しいのが現状である。なんだか残念だ。
メニューの分かりやすさのせいだろうか。オムライスなんかは喫茶店でも食べられるメニューだから特別な感じにはなりにくい。
フレンチで見られるような「聞いたことのないメニュー、どんな料理だか想像つかないようなネーミング」は一種の魔力である。
外食の大事な要素といえば非日常性だろう。舌を嚙みそうなネーミングの料理が出てくることは演出効果として大きい。
そういう意味ではハヤシライスやオムライスだと分が悪い。いにしえのハイカラ時代は遠く過ぎ去り、すっかり料理として一般化したせいで、卒倒するほどウマい洋食だとしても「スペシャルだぜ!」という雰囲気になりにくい。
そんな不憫な感じ、不当な地位に甘んじている感じも私が洋食をこよなく愛する理由である。一種の判官ビイキみたいなものだ。
それ相応の洋食屋で味わう料理の美味しさは、大げさに言えば日本人の味覚に完璧に寄り添った完成品だと思う。
今やすっかり日本オリジナルである。洋食の派生系であるトンカツを例に取れば、多くの店が民芸調の造りだし、一緒に食べるのはパンではなくご飯である。もともとが西洋料理だったとは思えない進化だ。
日本人の類いまれなる応用力の象徴が洋食というわけである。
好きすぎて力説してしまった・・・。
資生堂パーラー銀座本店の「ミートクロケット」と「オムライス」である。コロッケと名乗らないあたりがニクい。そこはかとなく老舗高級洋食店の矜持を感じる。
真偽は定かではないが、その昔、芋系をコロッケと呼び、クリーム系はクロケットと称した時代があったという話を聞いたことがある。
こちらのクロケットはまさにそれ。ハムなどが入った上質なクリームコロッケだ。一口かじればウットリする。変な話、ご飯もパンも要らない。これだけを口の中に入れていたい。
オムライスは最近主流になってきたフワとろ系ではなくオーソドックスな路線だ。かといって普通の薄焼き卵とは一線を画した繊細な卵料理と表現したくなる仕上がり。素直にウマい。
こちらは舌平目のフライ。タルタルソースもバンザイ三唱したくなる味だった。バンズに挟んで「富豪フィレオフィッシュ」にしたい衝動にかられたことはナイショである。
銀座の資生堂パーラーといえば、どことなく「気軽に入れない洋食屋」の代表だ。オムライスやカレーがウリなのに不思議な話ではある。ちなみにメニューには1万円のカレーも存在する。あえてカジュアル化には背を向けているわけだ。でも、それはそれでニッポン洋食業界にとっては必要な“仕掛け”かもしれない。「ハレの日の洋食」というジャンルは世の中にしっかり根付いていて欲しい。
こちらも銀座にある人気店「南蛮銀圓亭」だ。資生堂パーラーほど敷居が高い雰囲気はないが、喫茶店・定食屋路線の洋食屋さんとは別のロマン?ある洋食屋さんだ。
ここは居心地のよいカウンター席もあるので、ちょっと嬉しいことがあった時などにふらっと一人で出かける。小皿料理が数多く揃っているので、それをツマミに最後にシチューをドンと食べたりする。
銀座だと他にも「みかわや」が”ハレの日の洋食”を代表するお店だ。ここも高レベルの洋食が堪能できる。
幸か不幸か、値段がちっとも手軽ではないので頻繁には行けない。ある意味、その渇望感も私にとっては大事な調味料みたいなものである。
富豪なら値段を気にせず食べ散らかしに行けば良さそうなものだが、私の場合は「富豪になりたい」と叫んでいるだけのエセ富豪なのでなかなか難しい。
でも、いつの日かホンモノの富豪になったとしても、高級路線の洋食屋さんには時々行ってドキドキするほうが楽しいと思う。
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