2017年12月6日水曜日

エンゲル係数


家計における食費の支出割合がエンゲル係数である。私の場合、計測不能である。言うならば破綻している。

シングルオジサマの一人暮らしだから、一般的な家庭のそれとは比べられないが、食べ物コストを意識して節約したら、がっつり貯金だって出来そうな気がする。

でも出来ない。


とある週末、カキが無性に食べたくなって買い出しに出かけた。一人で家で鍋をつつくのもシャクなので、特製パスタを作ることにした。

エビとタコも買った。生パスタも買った。ついでにペペロンチーノとアーリオオーリオの出来合いの瓶詰めソースも買った。

出来合いのソースそのまんまだと負けた気がするので、両方をミックスしようと企んだわけだ。

もちろん、瓶詰めソースは全部使ったわけではない。でも、この先二度と使わずに賞味期限が切れる可能性もある。事実上の使い切りみたいなものだ。

言うまでもなく、パスタ、カキ、タコ、エビは使いきりである。

ふと気付けば、たった1回の特製パスタのためのコストとしてはアホ丸出しの金額を投下している。

エンゲル係数測定不能状態である。

こういう時、私の頭の中は自分に都合良くグルグルと回り始める。

美味しいカキのパスタを外食で味わおうとしたら、カキなんて3~4個しか入っていない。ついでに言えば、余計な前菜やメイン料理を注文して無駄に高い白ワインを頼むことになる。

もっと言えば、美味しいイタリアンに行くのなら小綺麗なオネエサンを誘い出す。そうしたら心にもないお世辞を言わねばならないし、結局は変な下心も湧いてくる。

うまくコトが運べば、そのままバーでマティーニなんかをひっかけて、ついでにムホムホ目的でホテルに行っちゃって大出費することになる。

すなわち、肝心のパスタを冷静に味わうことは不可能になり、それどころか、とんでもないコストがあっけらかんと消えてしまう。

それに比べて、一人せっせと贅沢パスタを食べるなら、邪念に惑わされることなく、行儀良くする必要もなくズビズビズズズっとただ無心に食べられて数千円である。

「数千円もかけて作ったパスタ」は、このような御都合主義的妄想気味の解釈によって正当化される。

結果、コスト意識の無さを反省することもなく、貯金がちっとも増えない生活が続く。


こちらは銀座「美らしゃぶ亭」での一コマ。私の知る限り日本で一番ウマい豚しゃぶの店である。

一番ウマいわけだから安い店ではない。「豚肉は牛肉より下」と思い込んでいる人にとっては驚きだろうが、肉類の中で豚肉が一番好きな私にとっては、時々奮発するには許容範囲である。

極上の豚肉が常時5,6種類は用意されているのだが、一番高い肉は確か1人前7千円ぐらいの値段だ。

ただし、旨味、甘味、歯応え、後味に至るまで完璧である。たまの贅沢ならアリだと思う。

この「たまに」という「言い訳」も私のエンゲル係数破壊の要因の一つである。「しょっちゅう食べるわけではない」「たまにしか食べない」という言い訳が財布のヒモを緩めてしまう。

「たまに」ではなく、ちょくちょく食べに行っちゃった時には、また別の言い訳が私の頭の中でフル回転する。

「ダイエット中は夕飯をモヤシだけで済ませた日が1ヶ月に4~5日あったから、合計して案分計算すれば大したことはない」。

いつもいつも都合の良い解釈で無理やり自分を納得させながら、気付けばピーピーしている。

バカである。

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