寝ても覚めてもタラコのことを考えている。
ウソです。
でも、そう言いたくなるぐらいタラコが好きだ。明太子に押されて昔より地位?が低下した印象があるタラコだが、昭和の東京では明太子より断然タラコが優勢だった。
昔は流通の関係もあってか、今のようなフレッシュな生タラコより、火が通ってボソボソになったタラコが多かった。あれはあんまり美味しくない。
生のままだったり、軽く炙ってレア状態のタラコこそ私が愛するタラコだ。そのままで良し、酢に付けて食べるのもウマい。
酢に付ける食べ方は、子どもの頃に祖母をマネしてクセになった。炊きたてご飯の共にすると最高なのだが、人に勧めてもたいていは共感してもらえない。そんなに変だろうか。
近代ニッポンの大発明の一つがタラコスパゲッティである。日本独自のパスタ料理だ。日本人の食に対する卓越したセンスを象徴する一品だと思う。
私にとってタラコスパゲッティは、おふくろの味の一つである。子どもの頃の大好物だった。パスタなどという呼び方が普及していなかった40年ぐらい前の話だ。
ミートソースとナポリタンしか見当たらなかった時代だから、我が家は割とハイカラだったのかもしれない。
タラコスパゲッティの元祖は「壁の穴」というレストランだとか。私も高校生時代、渋谷の店に何度も行った。でも、家で食べるほうが何となくシックリきた。子どもの頃に感激した味はやはり無敵である。
冷凍パスタがビックリするぐらい美味しくなった最近でも、タラコスパゲッティに関しては私を悶絶させる商品はない。
そこそこウマいのは確かだが、何かが物足りなく感じて、いつも別途に生タラコをいっぱい混ぜ合わせて自分流にアレンジして食べている。
タラコの思い出は他にもある。高校時代、人の弁当を勝手に早弁するという極悪非道なことをしていた。ヒドい話である。
我が子のために頑張って作った弁当がヨソの子に食べられちゃうわけだから友人の母親からすればブチ切れる話だろう。
私がお気に入りだったのは某友人の弁当。いつ食べても美味しい。ある日、おかずの一つにあったのが「しらたきのタラコあえ」。
ダシの味も効いてタラコとしらたきが混ざり合う食感もいい感じで素晴らしかった。その後、私の報告?を受けた我が家でも定番料理になったほどだ。
今もその友人とは時々飲んだりするのだが、話題はいつも「しらたきのタラコあえ」である。
話は変わる。先日、「タラコ焼きおにぎり」をムホムホ言いながら食べた。目白にある「鮨おざき」でのこと。
寿司飯を使った焼きおにぎりは、ほのかなシャリの酸味がアクセントになって単純明快に美味しい。
この日はタラコをシャリにまぶしてもらった。画像は醬油を塗ったバージョンとプレーンのバージョンである。どっちもウマかった。
酢飯とタラコという抜群のコンビを焼きおにぎりにするわけだからマズくなるはずがない。
マグロだカツオだ鯛だヒラメだと上等な魚が揃っているのに、それらには目もくれず、タラコ焼きおにぎりにやたらと感激してしまった。
子どもみたいだ。
2 件のコメント:
タラコにお酢ですか!それは意表をついていますね。今度、試して見たいと思います。お寿司のバリュエーションですね。
確かに子供の頃は、タラコというと焼いてあってパサパサ、たいして美味しくない存在でした。明太子が出回るようになって生のタラコも普通に食べられだした、そんな印象があります。
道草人生サマ
酢に浸したタラコ、ハマる人はハマります。あまりハマる人はいませんが・・・。
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