昭和の家庭ドラマには、いにしえの日本の原風景みたいなシーンがよく出てきた。ちょっと大袈裟な書き出しだが、今日は「敬語で萌える」がテーマである。
古く良き日本の家庭では、奥さんが旦那さんに敬語を使っているイメージがある。
「お疲れ様でした。お風呂にしますか?」
別にどうってことのない会話だが、何だか古風な感じがしてカッチョいい。ジェンダーがどうしたこうした騒々しい今の世の中では考えられない感じだ。
敬語のキチンとした感じは素直に心地いい。だから私も親しくなければ年下にも敬語を使う。タクシーに乗っても飲食店のバイトの若者にも敬語で話す。
相手が年下だと分かると一気に敬語をやめてしまう人がいるが、あれは野暮の極みだろう。マウントを取りたがる人みたいで苦手だ。
若い頃、目上の人から敬語を使われると、その人がキチンとした人に見えてそれだけで立派に思えた。
その分、距離感も生まれるが、人付き合いで大事なのは距離感だから妙に距離を詰められるよりはマシだ。
ウダウダ書いてきたが、本題の敬語萌えに移ろう。
深い仲になった男女の会話に敬語が使われることは「いとをかし」である。ベッド敬語である。ムフフ敬語である。
意味不明でスイマセン。
「上になろうか?」と「上になりましょうか?」のどちらが萌えるか。当然ながら後者である。
「口でする?」、「口でしましょうか?」。「脱がせて」、「脱がせてください」。これまた全然違う。
さっきも書いたが、敬語とは距離感の証しである。それなのに最も距離が近い場面で繰り出すわけだから非日常感の極みだ。
別に威張りたいわけではない。上とか下という意味でもない。DNAに刻まれた狩猟本能というか、征服欲みたいな感覚が敬語萌えの心理なのかもしれない。
いろいろとむき出しの状態なのに敬語を使うという展開が背徳感にもつながるわけだ。ちなみに、そんなことを大真面目に考察したところで何の意味があるのかと私を責めるのは禁止です。
3年前にも敬語フェチの話を嬉々として書いていた。まるで進歩がない自分がちょっと心配になる。
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/03/blog-post_12.html
いや、調べてみたら昨年も同じような話を載せていた。すっかり忘れていた。いよいよ自分の脳の劣化が心配になる。
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/07/blog-post_3.html
相も変わらずバカ話を書いてしまってちょっと反省である。でもここまで書いてしまった以上、ヤメるのもシャクだから続ける。
何だかんだと歳を重ね、今では世の中の半数以上が私より年下である。すなわち敬語で話しかけられる場面は年々増える一方だ。
ましてやムホムホな展開になる場合には、必然的に相手は年下ばかりになる。敬語萌えが一種の趣味と言える私にとっては幸せな状況ともいえる。
さすがに私の歳になって年上をクドくような場面にはまず遭遇しない。それはそれで、怖いもの見たさ的な興味がないわけではないが、たぶん相手はベッド敬語は使わないはずだ。その点が問題だ。
友人とバカ話をしながら飲んでいる際に、「深い仲になった相手の最高年齢はいくつか」というテーマになったことがある。
奥さんと仲の良い面々は現在進行形!だから今でも相手の最高年齢は更新され続けている。
これって結構素敵なことだと思う。ある意味、人として勝ち組みたいなものかもしれない。トゥルーラブの世界である。
私は別にロリコンでもないし、若い人にしか興味がないわけではないのだが、“成熟したオトナの女性”には残念ながらあまり縁が無い。
成熟した大人の女性が何歳からを意味するのかは、自分なりに決めてはいるが、世間の感覚とズレていたら恥ずかしいので内緒だ。
いずれにせよ、不戦勝の相手ばかり探しているようではオジサマ失格だから、もっと違う視点で奮闘努力しようと思う。
2 件のコメント:
激しく同意いたします。
け、敬語で失礼いたしました。
男ですが…
ありがとうございます!
敬語フェチ連盟の同志としてお互い頑張りましょう!
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