エンガワ。寿司ネタの中でも私の大好物である。読んで字のごとく「縁側」である。ヒラメなどが泳ぐ際にヒラヒラ動かしている外側の部位だ。
鶏の首肉であるセセリがウマいのと同じく、ヘコヘコ動いている部分は運動量のせいなのか妙に美味しい。
お寿司屋さんでエンガワを頼む場合、「エンガワちょうだい」ではなく「エンガワある?」が正しい。端っこの部分だから大量にあるわけがない。だからこそありつけたときに嬉しい。
この方程式が通用しないのが回転寿司屋である。常にエンガワが大量にある。いまや若い世代を中心に回転寿司で出てくるエンガワが“正統なエンガワ”になっている。
私もあの謎のエンガワは好きだ。子供達と回転寿司に出かけたらコーンマヨとエンガワばかり食べる。ジャンクな味が楽しい。正確には“エンガワモドキ”だが、そんなウンチクを語っても仕方ない。
詳しくは知らないが深海魚みたいなブヨっとした魚の身がヒラメなどのエンガワの味に似ていたことで一気にブレーク?して今に至る。全身があの味だから大量に常備されるわけだ。だから端っこの部分というわけでもないのに名前だけ端っこを連想させる。
ちょっと脂っぽくて旨味に富んだエンガワモドキは炙ってもそれなりに美味しい。“イマドキ寿司”を象徴するようなネタだろう。
トロだって江戸時代には捨てられていたし、ウニだって戦後になってから寿司ネタになったそうだから、エンガワモドキもいずれ本家を押しのけて寿司ネタの基本形になるかもしれない。
サーモンと同じくいずれ昔ながらの寿司屋のネタに採用されることを虎視眈々と狙っているような気がする。ここまで普及するとウンチクや良し悪しを通り越して需要と供給の関係で存在感が高まり続けるのだろう。
その昔、寿司屋でいっぱしの雰囲気を漂わせる客になりたいと一念発起して長年にわたり“客としての修行”に明け暮れた私である。エンガワモドキのこともサーモンのことも「あんなもん寿司ネタじゃないわい」と毛嫌いした時期もあった。
客修行も3周ぐらいこなした感じだから今では小うるさいことは気にしなくなった。カジュアルな寿司屋ではサーモンマヨも喜んで食べる。回転ならエンガワざんまいである。
「タラバは本来ヤドカリの仲間だからカニじゃないぜ、足の数だって違うよ」。そんなことを通ぶって語ったところで結局は嬉々としてタラバの脚をむさぼるのと同じである。
美味しいと感じればモドキだって大いに歓迎すべき。これが結局は真理なんだと思う。邪道だ何だと言い始めたらコンビニのおにぎりコーナーに並ぶ大半の商品がヘンテコな食べ物という扱いになってしまう。
ドライカレーおにぎり、オムライスおにぎり等々、おにぎりという概念を吹き飛ばすようなオンパレードである。恐る恐る、かつ、こっそり食べてみると案外ウマくてニンマリしてしまう。王道か邪道か考えてみたところで仕方ない。ウマいものは人を幸せにする。それだけである。
と、モドキのほうをやたらと擁護してしまったが、さすがに本家のエンガワのちゃんとした状態のヤツはすこぶる美味しい。私が好きな寿司ネタの上位には必ずエンガワが登場する。
ホシガレイ、マコガレイ、マツカワガレイなどお寿司屋さんによってこだわりもあるようだが、私程度だとどれも同じように美味しい。そこそこのお寿司屋さんが仕入れている以上どれも上質だからエンガワも当然にウマい。
ホントは3貫でも4貫でもエンガワの握りばかり食べたいのだが、さすがにそんな暴挙に出る勇気は私には無い。だから延々とそればかり食べられる回転寿司のエンガワに妙に惹かれるのかも知れない。
欲求不満になるかどうか。これまた味の感想を大きく左右するポイントなのだろう。
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