2022年12月21日水曜日

銀座の夜のクラブ活動



 以前ほどではないが夜のクラブ活動に励むようになった。11月末の我がオジサマバンドライブには銀座から夜の蝶や黒服さん達が結構来てくれてバンバン盛り上げてくれたから御礼参りも兼ねてふらふらと顔を出す機会が増えた。

 

我がバンドのチケット代は3500円だ。どう考えても割に合わない.。でも世の中そう割り切れるものではない…。それがイキってものである…。痩せ我慢こそ大人の男の美徳である。

 

コロナで閑古鳥だったのが懐かしいことのように現在の繁盛店は昔と同じように活気に満ちている。それでこそ銀座である。銀座で飲むということはプラスのエネルギーの中に身を置くことが主眼である。

 

発光体のように自らエネルギーを弾けさせていた若者時代とは違って中高年になるとどうしても“衰弱”してくる。意識してエネルギーを補充しないと枯れそうになる。そういう意味では夜のクラブ活動は一種の健康増進効果がある。

 



今では換気に力を入れるお店ばかりだし、そもそも普通の飲食店ではマスクもしないで大騒ぎしているわけだから銀座のクラブだろうと新橋の炉端焼き屋だろうとリスクは同じだろう。

 

10年近く前ならばアフターにも繰り出す元気があったが今はちょこっと1軒か2軒顔を出してさっさと帰るようになった。加齢だけでなく夜遅くに外にいる習慣が無くなったせいだと思う。

 

不思議なもので豊島区や文京区に暮らしている時のほうが深夜の銀座をうろついていた。中央区民になって銀座がご近所になった途端に足繁く通うことが無くなった。いつでも行ける感覚がそうさせるのだろう。

 



有難いことにこの画像のような特製ボトルを用意してくれている店もある。もっと通わないといけない気持ちはあるのだが、モチベーションが上がらないから腰が重い。カワイコちゃんが気のある素振りでも見せてくれればいいのだが、最近はそういうのを真に受ける純情さが欠けているから問題である。

 

あの世界で女性目当てでハッスルするにはしっかりとバカになる必要がある。「ひょっとするとオレに気があるんじゃないか」「あの目付きはオレに惚れてるな」等々、男らしいバカさを丸出しにしてこそ楽しめるものである。

 

私もそんなバカな場面は何度も経験した。それはそれで楽しい時間だった。いかんいかん懐古趣味になっている。今からでもそんな錯覚に陥るように自らを律して?頑張らないとなるまい。

 


 

この画像は魅力的な胸元を眺めてアホ丸出しの私である。顔の一部しか載せていないが元画像の私の顔は実に幸せそうだ。ある意味イキイキしている。渋い顔を作って気取っているよりよっぽどエネルギーに満ちている。

 

一昔前には夜の街を舞台に色っぽい“事故”もちょこちょこあったのに今のように達観した顔でオールドパーを舐めているだけでは老け込んでしまう。改めて頑張ろうと思う。

 

「言い訳コロナ」によっていろんなことが億劫になった人は多い。コロナ禍を理由にしたサボりは大袈裟に言えばこの国から活力を奪っている。個々の人々にとっても同じだ。コロナだから人に会わない。コロナだから出かけない等々、そんな話は回り回って自分の首を絞めるだけだと思う。

 

私自身、オジサマバンド活動の集客のため?に半ば渋々夜の銀座に出かけ、ライブの御礼参りにまた顔を出すようなことを繰り返しているわけだが、それが無かったらまったく行かなくなったかもしれない。

 

行けば行ったでキチンとバカ話に花を咲かせて楽しく過ごす。何となくプラスの「気」を吸収したような気分になる。現役感を実感できるし更なる奮闘を決意したくもなる。ちょっと大袈裟か。

 


 

この画像の私もキリっとカッコつけた表情をしている。こういう場面じゃなければフヌけてボーっとした顔で過ごしているからこれはこれで「男を頑張る時間」なんだと思う。

 

先日、新橋駅で出勤前の馴染みの黒服さんにバッタリ出くわした。34年前は一緒に店以外でも飲み明かしたこともある。お互いの誕生日プレゼントを交換したこともある。なのに名前が思い出せなくてアセった。まだ爺さんと呼ばれる歳でもないのに問題である。

 

1年の終わりになるともろもろ反省ばかりが頭に浮かび新しい年はこうしようああしようと思いがちだ。その観点でいえば来年はもっと現役感を実感する場面に身を置こうと思う。「言い訳コロナ」からの完全脱却を抱負にしよう。

 

 

 

 

 


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