2023年8月2日水曜日

ノーパン

                                                            


 「ミニスカートでノーバン投球」。ネットニュースなどでよく見かける表現だ。アイドルや女優の始球式ではもはや定番用語である。

 

言うまでもなくノーバンとはノーバウンドのことだが、“ノーパン”という目の錯覚を狙ったあざとい表現として定着している。

 

ノーバウンドで投げた、パンツを履かないで投げた、では随分と雰囲気が違う。普通に考えれば下半身丸出しで始球式をやるはずはない。目を引く見出しを付けたい編集者の確信犯的な企みである。

 

ノーパン。実に良い響きだ。崇高というか神々しい印象がある。どことなくロマンも感じる。そう思っているのは私だけだろうか。

 

本日のこのブログの見出しはノーバンではない。ノーパンである。目の錯覚ではない。モノホンである。何だか書いているだけで嬉しい!

 

おまけに冒頭のミニスカ画像である。今日はエロ話を書き進んでいく感じだが、実はぜんぜん違う話題を書く。スケベな話を期待した人には心から謝りたいと思う。

 

何はさておきノーパンである。私はノーパンが大好きだ。といっても女性の話ではない。デートの相手にノーパンで来てもらったとかの話でもない。とりあえず今日は私自身の話である。すいません。

 

下着を履かないで過ごすのは実に快適だ。さすがにスーツを着て仕事をしている時にノーパンというわけにはいかない。基本的には家でくつろいでいる時に限られる。

 

下着の締めつけ感ほど鬱陶しいものはない。中年になって腹回りがだらしなくなるに連れ、あのゴムの締め付けがたまらなく不快になる。

 

私の部屋着や寝間着は常にダラダラのテロテロである。よく分からない表現だが、要はオーバーサイズで柔らかい生地を好むという意味だ。身長180センチ弱、体重80数キロの私の場合、普段のTシャツやポロシャツはXLだが、寝間着用のTシャツなどは3L4Lだ。

 

5歩や10歩動いたらズリ落ちてくるような短パンやスウェットが理想である。郷ひろみが着るようなピタったとした服は昼だろうと夜だろうと苦手だ。

 

せっかくダラダラテロテロの部屋着や寝間着を愛用しても肝心の下着がピシっとしていては台無しである。すべてがユルユルにならないとリラックスは出来ない。理想はノーパンでいることだ。

 

実際に以前は家ではノーパンで過ごしていたのだが、今は年頃の娘と同居していることもあって一応下着は常時着用している。それだけではない。加齢とともにいろいろな“キレ”が悪くなってきたから安易にノーパンで過ごすと思わぬ“事故”につながりかねないので安全のためにも下着は着用している。

 

私が着用するのはいわゆるボクサーパンツだ。ブリーフは何だか恥ずかしいし、トランクスはスボンを履く際に裾が持ち上がって気持ち悪いのでもう何十年もボクサータイプである。

 

で、肝心のサイズ感である。普段はXLで問題はないが、家でくつろいだり寝る際には巨大サイズが必要になる。市販品で3L4Lを見つけるのは案外厄介だから結局はネットに頼ってデカパンを購入する。

 

ところが3L表示なのに一般的なXLと変わらないようなシャバダバな商品も多い。仕方なく余裕をもって4L5Lを買ってしまう。洗濯乾燥機で縮むリスクも考慮すると、そんなお相撲さんサイズを選ぶことになる。

 

時にはサイズ表記にウソがなく乾燥機でも縮まない良品?に出会うこともある。そうなるとユルユルなだけでなく丈も長めだ。鏡に写った自分の着用姿の奇天烈さにズッコケたくなる。

 

色は黒やグレーなどの無地が中心だから問題になるのが昼間に履くパンツと寝る時のパンツの区別だ。使い分けは私の日常生活において重要な問題である。

 

一応、家専用のユルユルお相撲さんパンツのままスーツを着たって何も支障はない。でも私だって現役男子である。時にはムホムホな展開を迎えることもある。女子の前で服を脱ぎ捨てた際に奇天烈パンツだったら大変である。下半身丸出しで街を歩くよりも恥ずかしい。

 

同じメーカーの同じ色のパンツでもXL4Lが混在しているから家用のデカパンにはラベルあたりに油性マジックで印を付けている。子供の頃の持ち物に何でもかんでも名前を書かされた時のようだ。印を見るたび何となくシュールな気分になる。

 

今日は私の奇天烈パンツ姿の画像を載せようかと思ったのだが、理性が勝ってヤメにした。その代わりにノーパン姿でも披露しようかと一瞬脳裏をよぎったのだが、それこそ公害みたいなものだから自主規制する。

 

 

 

 

 

 

 

 

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