誰もが他の人からすればビックリ仰天の嗜好を持つ。下ネタ方面のことしかり、食べ物のことしかりである。下ネタ方面の変態的嗜好については書き始めたら三日三晩でも足りないぐらいだが、今日はそっちではなく食べ物の話。
カップヌードルに酢を大量投入して喜んで食べている知り合いがいた。私も普通の醤油ラーメンには酢を入れて味変を狙うことがあるから全否定は出来ないが、カップヌードルと酢の組み合わせはビミョーだろう。
もちろん、本人が旨く感じるのなら他人がとやかく言う話ではない。私の場合、カップ麺だと「緑のたぬき」などの蕎麦に関してはヘンテコな食べ方を実践している。お湯を入れたらすぐに食べ始めるという変態的嗜好だ。
ラーメンやうどんのカップ麺だと熱湯を入れてから1分ぐらいは待つのだが、ナゼか蕎麦だと速攻で食べ始める。ボリボリゴソゴソした食感が最高だ。お菓子を食べているような楽しさがある。
子供の頃は変態的な食べ方ばかりしていた。すき焼きの鍋が焦げないように用意される牛脂の塊を嬉々として食べたし、炊きたてご飯に普通の酢を大量投入してビシャビシャになった米をさらさらとかっ込んだりもした。
誰にでもそんな独自の食べ方や好みがあるはずだ。世間に認知されれば変態扱いされないだけで、たとえばお好み焼き屋の「そばめし」などは奇天烈としか言えない。もっと言えば日本人の大定番である納豆だって違う食文化の国の人が見たらゲテモノにしか見えない。
納豆スパゲティ、しらすピザ、そんな和洋折衷系のメニューはよくよく考えれば変態バリバリなのかもしれない。
さて、変態的とまでは言えないものの、人様に熱弁してもあまり共感してもらえない私の好物が「つけ合わせスパゲッティ」である。洋食屋さんのメンチカツやエビフライの横にどうでもいいような感じでちょこっと盛られるアイツである。
たいていは味が微妙に薄い。もちろん具は一切無し。常温が基本である。ウマいマズいという論評の外に置かれた存在であり、正式名称があるのかどうかも分からない。阪神・岡田監督の「アレ」ではないが、あの“謎麺”のことは便宜上「アイツ」と呼ぶことにする。
一度でいいからアイツを山盛り食べてみたいと昔から思っている。勇気がなくてそんな注文はきっと死ぬまで出来そうにない。
タヒチやアフリカに行ってみたいという願望と同じぐらい私にとっては憧れである。このブログでも5年ぐらい前にもその事を熱く語った。
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/08/blog-post_25.html
そんな私にアイツを山盛り食べるチャンスがやってきた。最近発見した簡単調味料「ケチャッピー」のおかげである。その名もファンキーなこの商品はあえるだけでナポリタンが出来るというシロモノである。
今までちゃんと具を用意して使うか、チキンライスを作る際に流用していたのだが、ある日ふと気付いた。「これを規定量より少なくして具を何も入れなければアイツが出来るじゃないか!」。ちょっと変態的な思いつきである。
で、実践してみた。麺を茹でてフライパンでケチャッピーを加えて炒めるだけである。ところが、ところがである。天性の料理人?としての血が騒いでしまい、血迷って具を入れたくなってしまった。その時点で既に計画崩壊である。
合いそうな具が見当たらなかったのでシャウエッセンをハサミでカットしてマッシュルームとともに投入。ケチャッピーは規定量の3分の1程度にして定食屋で出てくるような頼りない味に仕上げる予定だったのに、シャウエッセン投入と同時に妙な色気が出てしまい勢いで規定量ぐらいの量を入れてしまった。
おまけに仕上げに粉チーズをぶりぶり投下、もうアイツとは呼べないちょっとした子供だまし的ナポリタンになってしまった。大失敗である。おまけに熱々を食べてしまった。アイツなら常温で食べるのが正しいはずだったのに大脱線だ。
味の方は普通にそこそこウマかった。それ自体がアイツとは一線を画してしまった感じだ。アイツはウマいマズいという感想とは無縁のぶっきらぼうな感じが魅力である。実に中途半端なモノを作ってしまったわけだ。
やはりアイツは意外に強敵だ。簡単にチャッチャカ作れちゃうような生易しいものではなかったわけだ。甘く見ていた私の負けである。今回の失敗の教訓は空腹の時に作ってはいけないという事だ。
アイツを完璧に仕上げるためには満腹の時にいやいやながらやっつけ仕事で作るのが正解だろう。そうすれば味見もせずに正しくテキトーな味になるし、イヤでも冷めちゃって常温になる。食い意地の張った私にはなかなか難しい取り組みだが、いずれ再挑戦するつもりだ。
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