自分が若造だった頃、中高年世代をオッサンと小バカにする一方で、重厚感や円熟ぶりに一種の畏怖の念も感じていた。気付けば私もそっち側の人である。若者に畏怖の念を抱かれるはずもない日々を過ごしているが、それなりに重厚感は出てきたのだろうか。どうも怪しい。
オジサマ世代になってみたらみたで案外頭の中は若造時代と似たようなものだと感じる。もちろん、知識や経験を重ねてそれなりに人としての幅は広がり、変に力まなくなったが、若い頃に勝手にイメージしていた“立派な大人”とは違う気がする。
尊敬する祖父が50代60代の頃は何を考えていたのか、どんな感覚で日々を過ごしていたのか、最近はそんなことが頭をよぎる。祖母もしかり、ご先祖様達の中高年時代の頭の中を覗きたい気持ちになる。
そんなことを考えながら夜の銀座をブラついていたら老舗の天ぷら屋「天國」を見つけた。以前は中央通り沿いにビルがあったが、少し奥まった路地に移転していた。この店の特製かき揚げ丼を祖父が好きだったことを思い出して暖簾をくぐってみた。
昔ながらの東京の天ぷらは関西勢に押されて最近はあまり人気がないように感じるのは気のせいだろうか。私自身もあまり食べていない。衣がちょっと重ためで天つゆにビシャビシャつけて食べたくなるのが私が思う東京流である。
芸術的に薄い衣をまとい、お塩でどうぞ、などと言われる天ぷらは個人的には苦手だ。もちろん好みの問題ではある。美味しさだけで選ばされたら東京風は確実に不利?である。でも身に染み込んだDNA的感覚で私は天つゆビシャビシャで食べる天ぷらが大好きだ。
というわけで久しぶりの天國である。目指すはかき揚げ丼だが、その前にちょろっと晩酌。塩辛は正しく塩辛く、ツナとオニオンスライスの盛り合わせはちゃんとしたツナがたっぷりで抜群の一品だった。
普通の天ぷらも少し頼む。海老とキスだ。いい感じに衣をまとっている。大根おろしをどっさり入れた天つゆに浸して味わう。正しい東京天ぷらである。もっといろいろ注文したかったのだが、シメのかき揚げ丼のために我慢する。
まだまだ満腹感には程遠いちょうどよい頃合いで特製かき揚げ丼がやってきた。4千円ぐらいのなかなかの値付けである。他に用意されている季節のかき揚げ丼や海老などの天丼に比べても別格の値付けだ。
で、小エビと貝柱のみで作られたかき揚げがデンと乗っかったドンブリが登場。茶色を通り越して凄い色である。「これだよ、これ!」と一人つぶやきながら大事なことを思い出した。非常に大事なことである…。
かき揚げ丼はあくまで祖父が好きだった一品であり、子供の頃に同行していた私は常に違うものをバクバク食べていた。実は私は特製かき揚げ丼が好きではなかったことを急に思い出してしまった。
まさに後の祭りである。思い出補正のせいで勝手に懐かしい味だと思いこんで注文してしまったわけだ。ショックである。
でもウン十年も経っている。きっとオジサマ世代になった私なら美味しく感じるはずだと悪い記憶を振り払って無心に食べ始めた。キリっとした味付けのタレがかかった白米はウマいのだが、肝心のかき揚げがビミョーだった。
ファンの人には申しわけないが私の味覚が子供時代のままだったせいか、ちっとも感動しない。ただただ重たい。頑張って食べるハメになった。祖父を思い出しながら郷愁に浸るつもりがフードファイト状態になってしまった。
「思い出は美しすぎて」みたいな話にしたかったのに結果は胸焼けバリバリである。店を後にした後で膨満感解消のために少し歩く。結局、夜のクラブ活動エリアに足が向いてしまった。
太田胃散をもらうことを第一目的に久しぶりに顔を出すクラブで一休み。かつて祖父が愛したオールドパーを炭酸割りにしてグビグビ飲んでゲップを連発してから帰路についた。
思い出は必ずしも美しいものではないと痛感させられた秋の夜だった。
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