エエ格好しい。私のことである。カッコつけたところで何かトクがあるわけでもないのにバカみたいである。思えば中学生ぐらいから変わらない性質だ。
カネもないのに気前よく振る舞ったり、下心バリバリなのに聖人君子みたいな表情を作ってみたりつくづく御苦労なことだと思う。
女子とカフェに入ったとする。相手にケーキを勧めておきながら自分は「甘いものはちょっと…」などと気取ってしまう。
実際にはスイーツ大好きオヤジである。先日も三越でやっていた北海道展に行って、鯛焼きやプリンやソフトクリームなどを一気にペロペロしてきた。
なのにカフェではコーヒーだけを頼んで苦み走った男を演じてしまう。愚の骨頂である。たまに女子が食べているケーキを見てヨダレがこぼれそうになる。
あの心理はいったい何なんだろう。今どきの言葉でいうならばまさに「ダレトク?」そのものである。
カフェに限らず女子と食事に行くと私の得意ワザであるドカ食いも封印してしまう。上品ぶってちまちま食べることが多い。相手は私の食べる量などまるで気にしていないだろうからバカ丸出しである。
あれこれウザったいウンチクを語りながらウナギをご馳走する際もシメの鰻重は「ご飯少なめで」などと気取った頼み方をする。上の2枚の画像も鰻重のウナギの位置が妙に低い。ご飯がちょっぴりだとこういうスタイルになってしまう。
「ご飯少なめで」という発言を習慣のように口にしているが、気取っているだけである。鰻重なんてタレの染みた白米をかっ込んでこそウマいのにナゼかそんな暴挙?に出てしまう。
「アツアツご飯は蒲焼が冷めないための脇役だからな」などと思ってもいないセリフを口にする。その昔、炊きたてご飯をドンブリによそってウナギのタレをドバドバかけただけのメシを頬張っていたことなど口が裂けても言わない。
ある時、女子が食べきれないウナギがこちらに回ってくるはずだと想定して私はショボい鰻重にして女子だけ極上鰻重を注文した。上の画像のように月とスッポンみたいな格差だった。
しかし、あろうことか極上鰻重は綺麗に食われてしまい私にお裾分けが来ないまま終了してしまった。オーマイガー!である。無駄に上品ぶってみた私の大失敗だった。
書いてみて思い出したのたが、この話は前にも書いたような気がする。ボケてきたのかもしれない。ごめんなさい。
さてさて、そうした無意味なカッコつけはいったい誰のための何が目的なのか自分でも分かっていない。一種の性癖?だろうか。痩せ我慢という行為にただただ美学を感じるヘンテコなМ的な習性が原因かもしれない。
先日、一人ふらっとウナギ屋さんのノレンをくぐった。築地の宮川本廛だ。子持ち昆布や肝串でのんびり一献やりながら一人の時間を堪能した。
この日はかなり空腹だったので普段なら頼むはずの白焼きをパスして“鰻重真剣勝負”に臨むことにした。「ご飯少なめで」という禁断のセリフは封印して、おまけに中入れ重を食べることに決定。
ウナギが敷かれたご飯の下にもまたウナギが鎮座しているというアバンギャルド?なヤツである。女子と一緒の時なら決して注文しない。いわばワンパクな一品である。
お店の人からお重よりもドンブリのほうがドカっと盛れまっせ的なアドバイスを受けたので、中入れ丼にしてもらう。お値段は9千円ぐらいだったが、白焼きを頼んでいたらドッコイドッコイの値段になるから良しとする。
で、かなり大ぶりなドンブリが登場した。何だか妙に嬉しい。きっと自分好みのエロ動画を見つけた時と同じような表情をしていたはずである。
ドンブリって大きくなければドンブリではない。小どんぶりなどという言葉自体が日本語として破綻しているとさえ感じる。大きいからドンブリである。そんなドンブリの上で輝くウナギにしばし見惚れる。
おもむろにかっ込んでみる。何が嬉しいって上に乗ったウナギの残りの分量を気にせずに済む。ガッつけば普通はウナギだけがすぐに無くなってしまうが、中入れ丼だから下の方からもウナギがニョッコリ顔を出す。
普通の品のある鰻重に比べると中入れ丼には「カオス」という言葉が似合う。いつもは理路整然?と箸を進めるような食べ方になる鰻重だが、中入れバージョンだと乱雑な祭り状態である。
何だか大げさな書きぶりになったが、久しぶりの中入れバージョンのおかげで独特な高揚感を味わえた。かなりの満足感でそれこそ爪楊枝を口に加えてシーハーしたくなる気分だった。
誰に言うでもなく「どうだ、まいったか!?」とつぶやいたほどである。意味不明だ。
無意味な気取り屋モードのせいで女子を連れてのウナギ会食にはどこか釈然としない思いを抱えていたのだが、この日は何だか妙にスッキリ爽やかな気分に浸れた。
四の五の書いてみたが、今日この話を書いてみていかに自分が無駄なカッコつけにエネルギーを使っているのかが改めて分かった。
ただただ滑稽としか言いようがない。
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