2024年4月15日月曜日

言霊(ことだま)

 

言葉そのものに霊力が宿るというのが、いわゆる言霊信仰だ。非科学的だ、バカみたいだと現代人は笑う。私もそうだ。そんなものを信じたってムダだと思って生きてきた。

 

とはいえ、還暦もそう遠くない今ぐらいの年齢になると言霊を意識する習慣は案外大事なことだと思えるようになった。やはり先人の教えは素直に受け入れたほうが良さそうだ。

 

実際の社会でも言霊を信じる感性は意外に定着している。単純だが「そんなこと言っちゃいけません」と叱られるのが最たる例だ。

 

結婚式では「切れる」や「別れる」などの言葉は禁句だ。受験生を前に「滑る」「落ちる」などが禁句なのも同様だ。言霊を信じてきた日本人の根源的な感覚だ。

 

先日来、結膜炎で苦闘していたが3週間経ってようやく治った。目が不自由な状態が3週間も続くと気弱な言葉ばかり口から出そうになったが、本能的にネガティブな言葉を使わないように意識した。これも言霊を無意識に恐れているからだろう。

 

ネガティブワードを口にすることはどんな世界でも否定される。「きっとダメだ」「オレには無理」「うまくいくはずない」といった言葉は嫌われる。そんなことばかり言う人間は実際に人からも見放されるし、勤め人だったら人事評定でマイナスを食らう。

 

偉人の名言集なり自己啓発本などで強調されるのは、いわゆるポジティブシンキングだ。まあ当然の流れだろう。でも面白いもので前向きな発想や考えを持つことは強く推奨されているが、そうした言葉を実際に口に出して唱えよといった指摘はあまり聞かない。

 

思ったり意識したりするだけでは言葉にはなっていない。すなわち言霊は生まれないわけだから「声に出しまくれ」という指導がもっと盛んでも良いと感じる。

 

日本人はもともと言葉数が少ないからだろうか。ブツクサ独り言を発していると変な人だと思われるから人との会話以外では言葉を発しないことが普通だ。

 

だとするとポジティブな考えがあってもなかなか言霊にまでは発展しないという理屈になる。「きっとうまくいく」「絶対成功する」「奇跡を起こす」などと大声で叫んでいる人を見かけることはない。ということは逆に国民みんながそんなことをはっきり口に出したらバブル景気みたいな空前の活況になるのかもしれない。

 

かく言う私も積極的な言葉をひとり呟くことなどない。恥ずかしいからそんな習慣はない。結膜炎の時も「すぐに良くなる」と叫び続けていたら3週間が2週間で済んだのだろうか。だとしたら叫ぶべきだったかも。

 

いまさら羞恥心を維持しても仕方ないからこれからはポジティブな言葉を実際に口に出して言おうかと画策中だ。「大富豪になる」「病気にはならない」「あのコを落とせる」等々、なんでもいいから積極的に口にすることで言霊に頑張ってもらったら明るい未来が待っているかもしれない。

 

バカみたいな話をつらつら書いてしまったが、つくづく日々の暮らしの中で考え方を前向きにすることの大切さを感じるようになった。チンケな精神論かもしれないがそれが結局は毎日の暮らしを良い方向に彩ることは確かだろう。

 

何かで読んだ話だが、不慮の事故で片足を失って失意の底にいる人に駆けつけた家族がこう言ったという。「片足が残ってよかったじゃない、死なないで良かったじゃない」。捉え方ひとつで意識は大きく違うわかりやすい例えだと痛感した。

 

私自身、わりと重症だった結膜炎に悪戦苦闘している間も必死に「治らない難病じゃなくて良かったじゃないか」と自分に言い聞かせてみた。こういう積み重ねがきっと何かの役に立つと考えようと思った。

 

今日は何だかウザったい精神訓話みたいな話になってしまったからこのまま終わるのもシャクだ。お詫びに最近お気にいりのオモシロ画像を載せておく。じわじわ笑える。こういうのは大好きだ。

 



というわけで「好きなものを飲んで食って愉快で健康で幸福な未来が待っている」と言葉にして暮らしていこうと思う。

 

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