「もっともっと」というパターンに陥るのが好奇心や欲求である。人間の業みたいなもので楽しい経験をすればより楽しいことを求め、ウマいものを知ればよりウマいものが食べたくなる。
半世紀以上生きてくると「もっともっと」をアップデートさせてきたわけで充分にいろんな体験を積み重ねきた。そろそろ打ち止めにしても良さそうなものだが、まだまだ煩悩の火は消える気配がない。
そんな欲求をワガママなことだと思う一方でそれこそが生きるエネルギー源だと感じる。欲求が無くなったらと想像するとそれはそれで怖い。一気にすべてがしぼんでしまいそうだ。年をとったらとったなりの欲求を見つけて楽しまないとダメだと感じる。
潜水して写真を撮影する趣味に没頭していた頃は、どんなに素晴らしい水中景観を見ても「もっと綺麗な場所があるはずだ」と次々に計画を立てた。趣味に限らず通常の旅行にしても最高に楽しい経験をすればそこに何度も行けばいいのに、“もっと上の最高”があるような気がしてアチコチに出かけたくなった。
もっと変な例を出せば「エロの道」だって然りである。ウブな若造の頃は女性と密着するだけで鼻血ブーになるぐらいだったのに、気づけば「もっともっと」の連続で中年になる頃にはすっかり変態オヤジが完成した。
まさに「知ってしまった哀しみ」だろう。つくづくエロ本を眺めるだけで充分に興奮できた頃が懐かしい。あの頃の自分が今の自分を見たら首を吊りそうな気がする。
話を戻す。
若者の頃に戻りたいとは思わないが、若者をうらやましく感じるのはこれから数え切れないほどの「初めての感動」が待っていることである。ウマいものに出会うにしても1回目と2回目以降の感動はまったく異なる。「お初」の喜びに勝るものはない。
お寿司屋さんでウニをツマミに酒を飲みながらふと若い頃のウニとの付き合い方を思い出した。上等なウニなど知らず変に茶色っぽい臭みもあるような安物でも喜んで食べていた頃は、ウニをテンコ盛りにして酒の肴にする発想すらなかった。
今ではウマいウニに感動するでもなく当たり前のように食べている。「もっともっと」をウン十年繰り返してきた結果である。これって不幸なことかもしれない。
舌が肥えたと言えば聞こえはいいが、一種の感性の劣化である。一般に高級品に分類される食べ物に関しては年齢とともに口にする機会は増える。たとえば北京ダックなんて昭和の頃には1枚食べただけで贅沢感に浸れたのに大人になってからは大量に注文して残してしまったこともある。学生時代なら吐いてでも全部食べ尽くしたはずだ。
ステーキしかり。若い頃は最上のご馳走だったのに今では二口、三口も食べればゲンナリしちゃう。中途半端に上物も食べてきたせいで廉価版だと見下したような反応までしてしまう。
ウナギにしても子供の頃はスーパーで売っている冷蔵パックの安い切れ端みたいなヤツだって万歳三唱するぐらいの喜びを感じながら大事に大事に食べていた。
ウニにしてもウナギにしても歳を重ねるうちにだんだん上物にめぐり逢い、最上級のモノにたどり着いた時には目ん玉が飛び出るぐらいの顔で「何じゃあコレは~‼️」と感動した。
あの感動は二度目以降はなくなってしまう。二度三度と食べるうちにただうなずくだけになる。そのうち些細なことでケチまでつけ始める。諸行無常である。
大半の若者は極上のウニやウナギにこれから遭遇するわけだから“目ん玉飛び出るモード”をまだまだ何度も体験できることになる。これは素直にうらやましい。食のウンチクを語り始める歳になるとああいう感動を味わえなくなる。
などともっともらしいことを書いてきたが、先日ふと食べてしまったヘンテコなラーメンのせいで若者たちの味覚が少し心配になったのも事実だ。
その名も「油脂麺」である。ジャンルでいえば油そばになるのだが、名前からして「油」プラス「脂」である。別な店で軽く飲んだ流れでラーメン好きな友人と食べに行った。
油そば自体は何度か食べているが、ここまでハード?な一品は未体験である。すなわち「お初」だ。さすがに目ん玉飛び出るほどウマいだろうという期待はしていなかったが、ホロ酔いだったからワクワク気分でチャレンジしてみた。
結果は惨敗だった。半分ぐらい残してしまった。お店の名誉のためにいえば若い頃なら余裕で完食したはずだ。今の私には無謀なチャレンジだった。あくまで若者向けに作られた食べ物である。私が良し悪しを語ったところで意味はない。
でも私が若者時代にこういう食べ物は存在していなかったと思う。もちろんクドい系のラーメンはあったが、油そばというジャンルが確立されていなかったし、当然ここまで攻撃的?な麺料理は記憶にない。
今の時代ならではの一品だとしたら私の若い頃とは若者の味覚自体が変わってきているのだろう。だとしたら今の若者は、私の世代がたどってきた「お初の感動」を我々と同じ感覚では受け止めない可能性がある。
ちなみに鰻重に卵黄を落とす食べ方が一部で人気になっているらしい。それも若者世代の味覚変化の影響なのだろうか。なんだか自分が物凄く歳をとってしまったような気がする。
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