2009年11月30日月曜日

門外漢

「歴史の法廷に立つ覚悟があるのか」。ノーベル賞受賞者で理化学研究所理事長の野依良治氏が“事業仕分け”を厳しく批判した。

次世代スーパーコンピュータをはじめとする先端技術を外国から買ってくればいいとの一部の声に対してご立腹の様子。

最先端技術を外国から買ってくることは、その国への隷属を意味するという趣旨の野依氏の主張には、専門家ならではの迫力を感じる。

正直、根っからの文系人間である私は科学技術のことはチンプンカンプン。予算の何がムダで何が必要なのかサッパリ分からないが、野依さんのような識者が国のあり方を問う場面が増えることは素直に良いことだと思う。

「世界水準をしのぐ科学技術なくして、わが国の存在はない。小手先の政策では国は存続しない」というのが野依さんの考え。確かに資源がない以上、その主張は正論なんだろう。

確かに科学技術予算ともなると門外漢にはムダなコストと思われやすい。削減ありきの作業を担当する「仕分け人」のポジションから見れば厳しい指摘が続くのも仕方ない。

事業仕分けの必要性は誰もが理解している。その一方で、単なる役人イジメの儀式になっていたり、結論だけが先走って結論に至るまでの背景が無視される問題もある。

先日は元宇宙飛行士の毛利衛さんも事業仕分けの洗礼を受けて不満たらたらだったし、先日は東京大学などの旧帝大系7学長らが事業仕分けに批判の声を上げている。今後もさまざまな課題が噴出しそうだ

1円のムダも許さないという意味では事業仕分け自体を否定することはできない。基本的には大事な作業だ。

ただ、それ以上に副産物ともいえる効果も見逃せない。ノーベル賞学者や宇宙飛行士など特殊かつ専門分野のマイスターが国の政策に声を上げはじめたことに大きな意味がある。

こうした「スペシャルな人々」は、どこか俗っぽいことに口を挟まないような風潮がある。政治や国の在り方をどうこう指摘するような“文化”はなかったが、事業仕分けという荒っぽい“敵”が登場したことで持論を展開せざるを得なくなったわけだ。

専門分野でスペシャルなポジションを築いた人達の感覚や教養は専門分野以外にも活かされて然るべきだ。

話はそれるが、小学校時代の旧友で若くして東大教授になった解剖学者がいる。ひょんなことで彼の著書を読んでいて、国の予算措置に関する考え方に異を唱えていたくだりに凄く説得力を感じたことがある。経済学者、財政学者よりも解剖学者の彼の着眼点に敬服した記憶がある。

その道の専門家だけでその範囲のことを議論するより、ひとりの門外漢の存在が、がらっと転換させるきっかけになることだってある。

「スペシャルな人」ですら声を上げざるを得ない事業仕分けの登場で、国の予算の在り方に多くの人が関心を寄せるようになったことは、ある意味、事業仕分けというパフォーマンスの最大の功績だろう。

あらゆる分野の有識者が予算を通して国の在り方を議論するきっかけになれば、それだけで事業仕分けの存在価値はある。

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