2011年2月18日金曜日

ルーツをたどる

先日、ひょんなことから祖父の父、すなわち私のひい爺さんが書き残した面白いメモが出てきた。

詳細はいろいろヤバいので省くが、なかなか興味深い読み物だった。ひい爺さんの父親やそれ以前の「ひいひいひい爺さん」みたいな人が、ひいひい婆さんとどうしたこうしたとかが書かれている。

家系図みたいな「公式記録」は見た記憶があったが、昔の人が生々しく語っている自分のルーツは妙にワクワクする。

「維新の時は槍一本でどうしたこうした」とか、ひいひいひいバアサンの枕元に夜ごと現れた先祖の話とか、ちょっとオカルトチックな臭いもある。

私のルーツは浅草だと漠然と思っていたのだが、よく調べてみると市ヶ谷、四谷あたりにも自分の系統をたどることができた。

私の昔からの夢は「神楽坂に平屋を建てること」なのだが、これも四谷・市ヶ谷あたりをうろついていたDNAが原因なのかもしれない。

私の名字は東京では多い方ではないのだが、福島とか山形あたりでは割とポピュラーだという話を聞いたことがある。

親戚にそっちエリアの人がいないことが不思議だったのだが、その「古文書」によると男系の直系をさかのぼっていくと分家とか婿入りとかで6~7代ぐらい前は違う名字だったようだ。

なんか想像しているだけで楽しい。ご先祖さまが何をしていたかは知らないが、江戸時代や鎌倉時代であろうと、どこかで自分のルーツが暮らしていたと想像するだけで小一時間ぐらいボーっと暇つぶしが出来るぐらいだ。

お侍さんだったとしても果たしてどの程度のポジションだったのか。ぺーぺーのぺーだったのか、中堅小役人だったのか、はたまた不良山賊になって落ち武者狩りをしていた荒くれ者かもしれない。

謹厳実直な漁民や農民だったかもしれない。手先が器用な職人だったかもしれない。ひょっとしたら北方の彼方から暖を求めて渡来したのかもしれないし、朝鮮半島から文化を伝えによって来た芸術家だったかもしれない。

はたまたなまぐさ坊主だったという可能性もある。なんてったって、以前、霊能者に私の前世は「武術好きなお坊さん」と言われた私だ。

まあそんなことを書き続けてもキリがない。

そう考えると徳川さんだとか、細川さんだとか、代々続く名門といわれる家では、自分の先祖がどんな人物だったのかが資料で分かるわけだから、面白い半分、困ったこともあるだろう。

歴史というものは見方によって善悪が簡単に取って代わる。勝てば官軍というように、歴史観自体がその後の主流派に都合よく固定されるのだから厄介だろう。

忠臣蔵・大石内蔵助の子孫なら威張っていられそうだが、敵役・吉良さんの子孫などは迷惑な話だろう。

その昔、親しくしていた女性が、それこそ室町時代ぐらいから続く伝統の世界を受け継いでいる一家の長女だった。これがまた大変。親兄弟が強烈な結束力でつながっている。あれじゃあ不良の真似事も出来そうにない。

とにかく伝統の技と子孫をきっちり残していくことが一家の重大事で、それが最優先。それぞれの個人の幸せといった「おセンチ」なことをまったく考えていない点に素直に感心した。

比べられるものではないが、同族企業経営に携わっている身としては、どこかシンパシーのような感覚を抱いた記憶がある。

その頃、何度目かの?独身時代だったので、すんでの所でその一門に加わりそうになった私だ。あの時、そんな選択をしたらどんな世界が見えていたのだろうか。

そう考えると、延々とさかのぼれば、何百人、何千人と広がっていく「ご先祖さま達」それぞれが人生の節目で思い悩み、決断し、人生を歩いてきたわけだ。

妙にドラマチックだ。

2 件のコメント:

ゆっぴ さんのコメント...

はじめまして。
たまに寄らせていただいています^^
こういう話が大好きなので、思わずコメント残してしまいました。
富豪記者さんの日記で一番すきなのが、寿司や温泉の話の時です。
なぜなら、それも大好物だから(笑)

富豪記者 さんのコメント...

ゆっぴ様

コメント有難うございます!
先祖系の話って妄想すると結構楽しいですよね。

寿司や温泉ですか。どしどし情報をお寄せくださいね。今後ともよろしくお願いします!