2011年2月23日水曜日

鮨源 懐の深さ

自分の中で「酒を呑む場所」になってしまっているのがお寿司屋さんだ。江戸っ子ならダラダラ呑まずにパパっと食って引き揚げるのがイキだが、どうも腰が重くなってしまう。

ぶらぶら呑んだ後、深夜まで開けているお寿司屋さんの前を通るたびに立ち寄ろうかと悩む。握りを何個かつまんで2~30分で「そんじゃまた」とか言って立ち去ることをイメージするのだが、ついつい無粋な理由が私を邪魔する。

「太っちゃうな」、「もっと呑んじゃいそうだな」、、。そんな理由でついつい首を振りながら帰路につく。

だいたい食後2時間半は横にならないように意識している逆流性食道炎患者だという現実が問題だ。

夜の12時頃にチョロっと食べたら生真面目な私が眠りにつくのは深夜3時ぐらいになってしまう。6時半頃には娘に起される私にとっては拷問だ。

だから綺麗どころからアフターのお誘いを受けても、なかなかお供できない。結局ランデブーも逃げていく・・・。

最初から話が逸れまくってしまった。

寿司の話だ。

最近、立て続けに昼の寿司を堪能した。このブログでも頻繁に登場する高田馬場・鮨源でアルコールに背を向けバクバク食べた。

10年以上通っている店だが、昼間は未体験だった。なんか落ち着かなかったが、ぱっぱぱっぱと握りを注文してせっせせっせと食べた。




煮ハマに生サバ、極上の赤身だ。素直にウマい。当たり前のことだが、シャリが一緒になることで素材のウマさが爆発する。お寿司屋さんでは握りを食べるべきだ!などと一人でうなずく。

フランス人はワインと料理の組み合わせを「マリアージュ」、すなわち結婚と表現するが、そのセンスに敬服する。シャリとネタの「マリアージュ」は日本の誇るスーパー世界遺産だ。




ウニに生のゲソ、そして茹でたて熱々のエビだ。ミソもトッピング。こんなオンパレードならいくらでもペロペロ食べられる。

健康なうちに握りだけでいくつ食べられるか限界まで試してみたい。40貫ぐらいだろうか。いやいやハイペースで黙々と食べ続ければ50貫はいけるのではないか。

お勘定が恐いから回転寿司で試してみよう。


他にもいろいろ食べたのだが、シメにはやはり巻物だろう。かんぴょうにワサビをいっぱい投入してもらう。つーんと涙が一粒こぼれるぐらいがウマい。最後にスキッと締めくくる感じだ。

普段、この店では、わがままばかり言って酒の肴を即製してもらっているのだが、正しくマジメに握りだけを食べると日頃の私の邪道ぶりが悪事に思えてくる。

そうはいっても、夜に出かけると、酒を呑みながら相変わらず板前さん達に余計な作業を頼んでしまう。

ホタルイカを串に刺してもらってニンニク醤油でつけ焼きにしてもらったり、何度かここで書いたが、白子をフライにしてもらったり、タルタルソースまで即席で作ってもらったり、随分アーダのコーダの言ってしまう。

でも、みなさんプロの職人さん達だから、私のリクエストなんかチョチョチョイッとこなしてくれる。

客のワガママを聞くだけでなく、実際に日頃から創意工夫を凝らした料理を作っていることもある。燻製にした魚や貝の肝とか、チーズなんかもスモークで出してもらうことがある。


いろいろな具材を使った燻製の進化形として先日出してもらったのが「スモークマグロだ。それも薄っぺらく切ったマグロを燻製にしたのではなく、塊のまま豪快に調理されている。

見た目はまるで肉だ。スペアリブの塊みたいで、とてもお寿司屋さんに置いてある食材には見えない。

塩、コショウでしっかり味付けされ、マグロの脂もスモークされることで適度に落ち、見た目ほどクドさはない。ハイボールと合わせたら抜群の相性だ。

淡い感じの味わいが多い酒肴の合間にこういうガッツリ系が少し出てくると妙に嬉しい。


上の画像の塊を切って出してもらった画像がこれ。皮目がパリッとして北京ダックみたいだ。もともと上質なマグロしか置いてない店だから、アレンジしても美味しく食べられる。

邪道と言っていいのか微妙だが、こういう邪道は大歓迎だ。狭いルールに閉じこもって、しかめっ面して伝統を押しつけるような店はちっとも有難くない。

自分の信念を大事にするのは職人気質として大事だろうが、カウンターを挟んだ客商売という次元で考えると、自分の価値観、自分の流儀だけを一方的に押しつける行為は感心しない。顧客視点という考え方が欠落している。

もちろん、その店の信念を一方的に押しつけられるのが好きな客は、その手の店で有難く出されるものを押し戴けばいい。それはそれ、一種の信仰みたいなものだから信者を自認する人は満足なんだろう。

イヤなら行かなければいいので、私はそうした異教徒を弾圧するような店には行かない。きっと何を食べてもひたすら揉み手で店主を誉めないとならないのだろう。

ちなみに、お寿司屋さんがその手の店ばかりだったら客のほうも育たない。最近ハヤリの「おまかせ」だけでウン万も取る店も同じだろう。

客だってアレコレやり取りする中で、時にトンチンカンなことを言って恥をかいたりしながら知識を得ていく。そうやって基礎知識や自分の好みや傾向、居心地の良い店かどうかを見極めていくのが普通だろう。

「信仰系、信者系」の店は、客を育てるというより、育ちきった客、分かっている客しか相手にしないという感覚があるのだろうか。まあそれもひとつのジャンルだろう。

なんか理屈っぽくなってしまった。そんなこんなで鮨源さんの懐の広さがつくづく有難い。

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