2012年4月18日水曜日

Facebook

機会モノが苦手、コンピュータなんてもってのほかみたいな私だが、インターネットだけはそこそこ活用している。

「ウェブはバカと暇人のもの」という新書が売れているらしいが、私も暇なバカなので、毎日何かしら遊んでいる。

3年ほど前、友人に誘われFacebookに登録した。最初はちっとも意味が分からなかったのだが、昨年の震災の際に、Facebookが強力な通信手段として機能したと聞いて一念発起。前向きにいじりはじめてみた。

で、結構ハマってしまった。

頻繁にどうでもいいことを書き殴っている。お節介なことにサイトから「友達」の可能性がある人を紹介されてビビるが、その人が実際に知り合いだったりするから不思議だ。

また、「友達」が「友達」を紹介してくれたり、実名登録だから、懐かしい旧友が「友達」に名乗りをあげてくれたりする。性質上、一方通行に留まるブログとは違う「相互乗り入れ感」みたいな面白さがある。

使い始めの頃、機能をまったく理解しておらず、自分がアップした内容が「すべてのユーザーに公開」という設定になっていて青ざめたことがある。

勝手気ままに身近な話題をアップしていると、たとえば、あくまで、たとえばの話だが、平日の昼間から酒を飲んでいたり、怪しい場所にシケ込んでいたり、公式?に伝えている出張先とは違う温泉宿にいることが時系列に一目瞭然だ。

危ない危ない。

その後、「友達」に限定して情報が公開されるように設定し直した。そうすればそうしたで「友達」を厳選しないと危なっかしくて仕方がない。

私の場合、どちらかと言えば、不真面目な内容しかアップしていないので、基本的に仕事関係の知り合いはFacebookでは「友達」になっていない。

私の家族にどこかで接点があるような人もなるべく除外だ。社会平和のためには仕方あるまい。一度、「友達」になってから、コソッと除外させてもらったこともある。

「池袋の居酒屋で部下の深刻な相談に乗っていた」と言っておきながら、その日、その時間にFacebookには「やっぱり露天風呂とサウナは最高だ」なんて内容をアップしているわけだから始末が悪い。

会社や家族だけではない。「仕事が多忙で夜の街には出られない」と言っておきながら、毎晩のようにネオン街事情をFacebookにアップしていれば、アチコチから「うそつきバカやロー、さっさと店に顔を出せ」と脅迫にも似た営業攻勢を受ける。
油断大敵だ。

結局、「友達」は限られた知り合いばかりという状況に陥り、「震災に備えての通信手段」という当初の崇高な目的とは随分違う感じになってしまった。

それでも、30年ぶりに接点を持った旧友がたまたま沖縄でダイビングショップを経営していて、そっちの話題で情報共有できたり、小学校以来、消息を知らなかった旧友がバリバリのプロミュージシャンになっていたことに驚いたり、なかなか楽しい。

先日も高校卒業以来、没交渉だった友人とFacebookで再開し、彼と一度だけ組んだバンドもどき?で演奏したオリジナル曲の話題で盛り上がった。

作詞はなんと私だ。こっちが忘れていた歌詞を彼はすべて記憶しており、その小っ恥ずかしい詩をすべて教えてくれた。実にビミョーかつ残念なその内容に卒倒しそうになった。

妙に飲み会も増えた。Facebookのおかげで付き合いが復活した友人と実際に顔を合わせる機会が増えた。あれも一種の「オフ会」と称する集いなんだろうか。

「オフ会」などと聞くとコンピュータオタクの世界の話だと思っていたが、私も立派な「オフ会メンバー」だ。自分がしっかり文明の利器についていっている気がしてチョット嬉しい。

ちなみに、ここ1年ほど、どうでもよい話をアップしてきた中で、いわゆる「いいね!」ボタンを押してもらった数と、コメントをもらった数が一番多かったのは何だろうと見返してみた。

美しき四季折々の旅の景色とか、麗しき我が善行の数々のどれかだろうと思っていたのだが、第1位は「埋もれたい」という一言を添えてアップしたこの画像だった。


私が書いたのは、わずか5文字だ。「埋もれたい」。これだけだ。日頃、アチコチでいろいろ書き殴っているのに、わずかに5文字の内容が第1位だ。

妙に切ない。

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