2013年6月26日水曜日

コンドームの教え!?


先週このブログで、大人と子供の違いをアレコレ書いてみた。その後、走馬燈のように懐かしき若気の至りが頭に浮かぶ。

子供時代、若者時代は、純粋で視野が狭く日常をすべて厄介事みたいに感じていた。御苦労な日々だった。

今の時代の若者も同じだろう。あと10年、15年過ぎれば随分ラクになるはずだから、めげずに凌いで欲しいものだ。

などと、マジメぶった書き出しだが、そんな高尚な話を書くつもりはない。

若かった頃のバカっぷりを考察?しようと思っているだけだ。

色気づいてきた中学生の頃、ませガキだった高校生の頃、背伸びしたくて仕方なかった大学生や20代の頃。すべてに共通していたのが「カッコ悪いこと」への嫌悪だった。

もちろん、カッコいい、カッコ悪いの尺度自体が視野の狭いバカっぽい基準でしかなかったのだから実に滑稽である。

でも、そんなイタイケな感じが若さだったのだろう。

朝、セットした髪が乱れるのがイヤで体育の授業のプールはたいてい風邪気味で見学。人と会うときはいつも過剰に身なりに気を遣う。出かける店は新しくてオシャレ~なとこばかり。

いまでは大好きな喫茶「ルノアール」には間違っても入らない。居酒屋には見向きもせず、カタカナ名前の店でカタカナ名前の得体の知れないカクテルもどきを飲んでゲロを吐く。

クルマもピカピカにしないとデートにも行けない。雨が降るのが分かっているのにセッセとワックスがけ。尾崎豊の歌に感動したことなんかはトップシークレットで、洋楽のヒットチャートを必死に勉強。

流行こそが絶対だと信じて、安っぽいヘンテコな服を買い込む。誰が何を買った、誰が何を持っているとか、人の行動が気になって横並びのちょっと先頭を目指してばかりいた。

いやはや大変な労力である。

社会人になって何年か経った頃、大人の正しい忙しさに巻き込まれるまで、そんなファニー?な感覚で生きていた。

いまやすっかりテキトーで大ざっぱになり、目指す人間像が「高田純次」になった私だが、時々、あの頃の「無意味な情熱」が妙に懐かしくなる。

エラそーに書いているが、見方を変えれば今は老け込んだだけである。若造精神も時には必要だろう。

オッサン的な図々しさは正直言って快適である。その理由はひょっとすると自分への甘やかしに過ぎないのだろう。

もっと、傍若無人になったり、恥ずかしがったり、いろいろと自意識過剰になった方が緊張感を持って過ごせるのかもしれない

思えば、若い頃はあんなに大変だった「コンドームの購入」という作業だって今では何も感じない。寂しい限りだ。

いまでこそ、コンビニでも普通に売られているが、当時は近所の薬局で買うか、薬局の前に置かれた自販機で買うしかなかった。

薬局もいまのようなバラエティーショップ的な雰囲気ではなく、ムスっとしたオジサンやオバサンに面と向かって「コンドームください」と、厳かに、かつ明瞭に言わなければならなかった。

モゴモゴ言おうものなら「え、なんでっしゃろか?」と聞き返されるから、こっちも真剣に一発勝負に出ていたわけだ。

高校生の少年には結構キツかった。指でOKマークを作って「コレください」と言えば、コンドームという固有名詞を発声しないで済むと聞き、けなげに試したりした。

なんて可愛かったんだろうオレ、って感じだ。

いまでは単なるケダモノである。ドラッグストアのレジが妙齢の美人店員だろうと微塵も恥ずかしさを感じない。おまけに店員さんが気を利かせて別な袋に入れようとしてくれるのを制止して、むき出しで持って帰ったりする。

大人になるということは、そういうことだ。でも、何か面白くない。もっと恥ずかしがったりしてみよう。そのほうが楽しそうだ。

学生時代は、女の子とどこかにシケ込む?のも一苦労だった。まず、誘うときの恥ずかしさ、緊張感。それを突破してもシケ込む場所に入るときにはビビリモード全開だった。

予算的にラブホは高嶺の花だった。たまに奮発しても安めの場所を選ぶから、妙にドンヨリしたところに入っちゃって気まずい思いもした。

当時は渋谷あたりにあったレンタルルームにお世話になった。ビビリながら入った受付で学校の先輩に鉢合わせして焦ったこともある。

ああいう形態は今は絶滅したのだろうか。当時は若者が巣くう繁華街には結構アチコチにあった。同伴喫茶の発展系だったのだろう。

同伴喫茶と異なり、完全個室でソファは背もたれが倒れるタイプ。ちょっと洒落た作りがウリで、口八丁手八丁で女子に「同行」してもらうことばかり考えていた。

いかにも必死な感じだった。命がけでそんなことばかり考えていた。下ネタに限らず何でもかんでも一生懸命だし、精一杯だった。いま思い出すと妙に切ない気分になる。

若さの特徴は、何かに熱中するときは頭の中にそれだけを充満させて一心不乱になる点だろう。不器用だが、情熱という意味では立派なもんだ。

オッサン的思考は、物事をまっすぐに見ないし、最初から半分ブレーキを踏んだまま、小さくまとまっているような感じだ。

いわば、分別ヅラにあぐらをかいているような日常である。

自分でこれを書きながら改めてそんなことを実感してしまった。何事も文章にしてみることは大事だ。

我ながら有意義な考察?になった。老け込まないためにも、バカっぽさを厭わないで日々を過ごすようにしよう。

2 件のコメント:

tokuda さんのコメント...

若いころを思い出すと赤面モノですね。宛もないのに、財布にコンドームを忍ばせていたり、、、そうすると財布に丸い跡が、、、、。

富豪記者 さんのコメント...

tokudaさま

ありましたねえ。財布の跡‥。
ほんとに必要な時には持ってなかったりして焦ったことも‥。

元気な日々でした。
コメントありがとうございます!