2016年1月29日金曜日

記憶の不思議


今年も1か月が過ぎた。早いものである。

正月早々、ぜんそくで娘が1週間入院した。退院したと思った途端に下の子が重い肺炎で緊急入院して長々と病院で治療を受けている。もう退院できるようだが、この1月は二人合わせて19泊も病院だ。問題である。

以前にも書いたが下の子はダウン症の男の子である。有難いことに普段は元気でしょうがないから何かと手がかかる。

病院でも夜中に点滴をぶち抜いてエレベーターで脱走しようとしたり、結構暴れ回ったらしい。ワンパクも程度問題である。

病院から怒られて母親が監視役として泊まり込むことが入院の条件みたいになってしまった。で、スッタモンダのあげく、日頃は一人気ままに暮らしている私にもそれなりに影響があった。

一緒に暮らしているわけではないのだが、子ども達とは離婚したつもりはない。というわけで、非常時には少しぐらい役にたたねばなるまい。

元の家に泊まった日もあった。娘と二人で過ごす時間は貴重だったが、さすがに離婚前に暮らしていた家に泊まるのは気が重かった。

男のほうがそういうことに関して神経質なのだろうか。もっとケセラセラ精神で大らかな気持ちで日常を送らないと早死にしちゃうかもしれない。

家を出て3年以上が経つ。いまさら泊まることなど想像もしていなかった。落ち着かないし、なかなか寝付けないで困った。

娘が寝入ったあとは、仕方なく夜更けに昔のアルバムなんかを開いて睡魔がやって来るのを待った。逆に目がさえてしまった。

センチな気分になったわけではないが、さすがに自分が生きてきた十数年分のトピックスがアルバムの中にテンコ盛りである。

なかなか感慨深いものがあった。

不思議なもので、人間の記憶は自分に都合良く頭の中で整理される。アルバムの中に写っている自分の姿を見ながらそんなことを感じた。

10年も経っていないのに、すっかり忘れていることが結構あって我ながら驚いた。日々の些細なことならともかく、小旅行やイベントっぽいこともいくつか記憶からすっかり無くなっていた。

脳が故障しているのかと思ったが、そういうわけではないらしい。一枚の写真を見ただけで、グワーっとその前後の記憶が甦ってくる。無意識のうちに忘れていたつもりになっていたのだろう。

思い出したくないことを脳が忘れたフリをするのは人間の基本的な防衛本能なんだとか。

記憶喪失も衝撃的なことを感知した脳がぶっ壊れないために起きる症状だと聞いたことがある。

「フラッシュバック」という現象は忘れたはずのことを何かのきっかけで鮮やかに思い出すことだ。脳は持ち主の都合に合わせて特定の記憶を探し出せない場所にコッソリ保管しているわけだ。

結局、「忘れた」のか「忘れたつもり」なのかは本人もよく分からないのかもしれない。

私の場合、写真を見て思い出したことは、辛い記憶でも切ない記憶でもなかった。思い出したくない出来事ではないのに完全に忘れていた。

なんでだろう。

ひょっとすると、その時々の自分を自分自身が認めたくない心理が働いたのだろうか。

写真に写っていた小旅行やイベント自体は問題なく楽しんでいても、その頃の自分の精神状態などを自分自身で思い出したくなかったのかもしれない。

その当時、自分が感じていたこと、計画していたこと、企んでいたことなどを思い出すのがイヤで無意識のうちに封印したくなっていた可能性が強い。

つくづく脳の機能は凄いと思う。精神のバランスを保つために本人にお構いなしに記憶に優先順位をつけたり、記憶をアレンジしている。人間の神秘である。

私の場合、アホバカざんまいだった中学高校時代の恥ずかしい記憶についても、今になって旧友から言われて突然フラッシュバックすることがある。

言われるまで完全に記憶から消去していたのにアッっという間に甦る。思い出してゾッとすることもあるから、やはり脳が私を保護しようとしているのだろう。

脳に感謝である。

なんだか意味不明な話になってしまった。

普通に生きていれば平均寿命までまだ随分と時間がある。10年、20年経った時に今の自分のことをどのように思い出すのだろうか。

将来の自分から見て今現在が「恥ずかしい過去」だったり「消したい過去」になっているのはゴメンだ。

しっかりと楽しい記憶として思い出せるように充実させないといけない。何を頑張るのか分からないけど頑張ろうと思う。

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