「オバサン」。今の世の中、この言葉をむやみに使うとトラブルの元らしい。こんなことで気を使うのはメンドーだが、それが現代ニッポン社会のマナーなんだろう。
一昔前は40歳を過ぎたら総じてオバサンだったし、ふた昔前なら30代半ばを過ぎれば基本的にオバサンだった。
確かに篠原涼子や井川遥をオバサンとは呼びにくい。「大人の女性」とか「アラフォー女子」と表現するのが無難だろう。
サザエさんの母である「礒野フネ」は原作での設定は48歳だ。私が大好きな森高千里と同じ歳である。キョンキョンや鈴木京香より年下だ。時代の変化と共に女性の年齢イメージ、オバサンのイメージは激変している。
私自身、自分がハタチぐらいの頃は30歳を過ぎた女性に対して“現役感”をイメージすることは難しかったが、今では成人式は30歳ぐらいにすればいいと本気で思っている。
ジャニーズのアイドルだって40歳前後がごろごろいる。飛んだり跳ねたりしているあの人達をオジサンと呼べないように、男女問わず年齢から連想する概念が変化している。
自分自身が成長していないせいなのか、私の場合、20代後半ぐらいの頃から現在に至るまでいろえろと仲良くしてもらった女性は20代から30代半ばの人ばかりだ。
その年齢層をターゲット?にしてきたつもりはない。いい歳して若い女性ばかり追っかけているつもりもない。何となくそういう結果になった。
しっとりした中年女性とネンゴロ?になる機会をいつも夢見ているのにチャンスがなかったのが現実だ。坂本冬美や市川由紀乃みたいな雰囲気のある女性に魅力を感じるが、なかなかああいう雰囲気の人はそこらへんを歩いていない。
半世紀も生きてきたくせに自分に何かが欠けているように思えるのは「対女性問題」に関して年齢相応に正しい進化を遂げていないことも理由なのかもしれない。
50歳を過ぎたのに若い女性相手に鼻の下を伸ばしていてはカッチョ悪い。まあ、それはそれで男のサガみたいなものかもしれないが、何事にも頃合いというものがある。
今のまま私が進化しないでいると、遠からず自分の娘と同年代の女性相手にムホムホ言い始めることになってしまう。それはさすがにマズい。せめてコッソリと世間の目から隠れないといけない。
和服姿に日傘の似合う凜とした艶っぽい中年女性と冷やし白玉汁粉を食べに行くような重厚感のある男になりたいと思っているのに、そんな女性に遭遇したことがない。いつも昔と変わらない行動パターンに終始している。
まあ、アラフォーや、はたまたアラフィフの素敵な女性は収まるべきところに収まっているのが普通だ。プラプラしている私と知り合う機会がそもそも少ない。森高サマだってあんなにカッチョいいダンナがいる。
個人的な信条として人妻さんとどうこうなる気はまったく無い。不倫は悪という正義論を振りかざす気はさらさら無いが、単純にメンドーだ。ダンナから訴えられたら100%負けちゃう。
不倫に抵抗のないアラフォー、アラフィフ女子が大勢いることは知っているが、そういう人々の日常のウサ晴らしのために安直に利用されるのもビミョーだ。
一応、私も独身だから、時々、席を同じくした中年女性からそれなりに積極的に来られることもある。本当だ。見栄を張るなとかのチャチャ入れは受付けない・・・。
有難いことだが、そういうケースの女性はどこかネジが外れちゃったような人が多い。それこそネガティブなイメージとしてのオバチャン化が進行しているタイプの人だ。冷やし白玉汁粉を食べに行きたい相手ではない。
先日、後輩から「中年合コン」の案内が来た。独身男が少ないから助っ人に来いという誘いである。集まる女性陣は40代、50代だとか。
10年前なら断っただろうが、今の私は「正しい中高年の姿」を求めているから、四の五の言わずに参加すると答えておいた。ひょっとしたら「和服姿に日傘の似合う凜とした艶っぽい中年女性」がいるかもしれない。
いや、そんな人はきっと合コンになど来ない。でも、世の中に絶対はない。家でくすぶっているなら、恐いモノ見たさ、いや、人としての幅を広げるために出かけていった方がいいだろう。
いずれにせよ、素敵な中年女性が増えることは、独身高齢者が増える社会において非常に大事なことだと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿