2018年6月20日水曜日

オコメに悶絶


硬めに炊きあがったコメが好きだ。コメも麺も硬いほうが良い。軟派な人生を過ごしてきた私だが、せめて口に入れるものは硬めに徹したい。


寿司飯にしても粒立ってこそのものだと思う。ビチャ、ベチャ的な形容詞がつくようでは食べる気にならない。

ベチャベチャしたコメを食べるぐらいなら、水加減を間違えてパサパサになっちゃったコメのほうがマシだ。

お茶漬けやスープカレーみたいに汁と混ぜる場合でも、硬めのコメが正解だろう。ベチャベチャしたコメだと埋没する。「粒立った」という言葉のイメージ通りにコメの存在感をしっかり感じられる方が美味しい。

ヨソの国のコメだって同じ。口の中でポロポロ転がるように一粒一粒のコメが独立して存在を主張するような感じが嬉しい。

というわけで、久しぶりに無性にビリヤニが食べたくなってインド料理屋さんに一人ふらっと行ってきた。炊き込みご飯「ビリヤニ」が標的だ。


銀座8丁目の「天国」の隣のビルにひっそり佇む「アナム」という店だ。以前は6丁目あたりにあった店だ。この周辺にはすぐ近くの博品館ビルの中にその名も「カーン・ケバブ・ビリヤニ」という人気店がある。

いつのまにか、昔は幻?だったビリヤニがアチコチで食べられるようになった。パサっとしたコメが好きな人には良い時代になったものだ。

辛さが選べたので、ごく普通にしてもらったのだが結構な辛さだった。個人的にはもう少しアッサリ目の味付けのほうが好みだが、これはこれでウマい。

まあ、私も着実に老化が進んでいるから、昔より味の好みが弱っちい方向に向かっている。インド料理をムホムホ食べたい若者なら大満足だろう。

鶏肉料理やマトン系のカレーも美味しく食べたのだが、食後5時間ぐらい経っても腹の中がスッキリしなかった。店のせいではない。私の身体が正しく年齢相応に反応したのだろう。ちょっと淋しい。



こちらは私のソウルフードだ。九段下にあるホテルグランドパレスのピラフである。シャトーソースという名の謎の液体をぶちまけることで至福の味が完成する。

40年以上前の子どもの頃、近くの学校に通っていたせいで親に連れてきてもらった頃から変わらぬ味だ。ピラフの粒立った感じはソースと絡み合うことで逆に引き立つ。

この日は大盛りにしてもらったのだが、ペロペロと完食してしまった。九段下は今の私の家からさほど遠くないので、もっと頻繁に食べに行きたいのだが、意識してブレーキをかけている。しょっちゅう食べたらデブまっしぐらである。

デブまっしぐらといえば鰻重問題も私にとっては悩ましい話である。鰻屋さんに行くのがこの上ない喜びなのだが、私にとってウナギは酒とともに味わいたい。

白焼きやうざく、その他のツマミを肴にしっかり飲んでからシメに鰻重というパターンだが、鰻重をしっかり食べたらデブまっしぐらである。

仕方なくいつも「ご飯は極小で」と注文する。鰻重はタレの染みたご飯とともに頬張るのが最高にウマいのだが、ダラダラ飲んでいると、ついついご飯の上のウナギをツマミにして延々と飲み進んでしまう。


冷めないようにお重の蓋を開け閉めしてウナギだけをチマチマと食べていくうちに、気付いたらご飯だけが残ってしまうという残念な事態に陥ることがある。

無残な姿である。ここで終了すればカロリー摂取の面では良いのだろうが、店の人の手前、そんなフシダラなことは出来ない。しかたなく、主を失ったご飯だけを半分ぐらいは黙々と食べることになる。

金欠でウナギのタレだけでドンブリ飯を食べた侘びしい若い頃を思い出す光景だが、実はこれがやたらとウマい。

ウナギの風味が少し残ったご飯に程よい加減でタレが染みこんでいる。私が出向く鰻屋さんはご飯も硬めに炊いてある。こういうシンプルな「タレご飯」は必然的にウマい。

酔いも手伝って、半分だけ食べるつもりだったのに、気づけば完食してしまう。コメの魔力がウナギのタレの魔力と混ざり合うわけだから、私の意志なんて瞬殺される。

痩せるはずがない。いや、この程度のデブで済んでいることが奇跡かもしれない。

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