何か楽しいことないかな~。口癖のようにつぶやいている。とくに悪いこともなく健康に暮らしているわけだから、そう思うだけでワガママである。
どんよりした気分でもないし、頭の中が霧に包まれているような感覚もない。これって幸せなことだろう。
よく考えれば、「小さな喜び」をいかに積み上げられるかが、大過なく暮らしていくうえでのカギだと思う。
先日、週末の昼間のこと。ダラダラ過ごしていたら、高校生の娘から「ヒマだったら学園祭に来い」との司令を受け、夕方の予定までのわずかな時間をぬって行ってきた。
高速をぶっ飛ばして学校に着き、30分程度の滞在時間だったが、娘がキチンと青春を謳歌している姿を垣間見ることができた。
これって「小さな喜び」だろう。急な誘いだったから一瞬ウゲっと思ったのだが、そんな機会ももう残りわずかだ。帰る道すがら、一人じわじわと喜びを感じた。
他人様から見ればどうでもいいことだが、じわじわ喜べることがあるのは幸せだ。布団カバーを取り替えた日の眠りみたいな「小さな喜び」をひとつひとつ大げさに実感することで心は平穏になる。
某日、とあるホテルのバーでとても美味しい「フローズンストロベリーマルガリータ」を飲んだ。これまたどうでもいいことだが、私にとってマトモなバーで甘い酒をグビグビ飲むことは喜びである。
バーに行くと、たいていは「マッカランをロックで」とか言って氷をカラカラ鳴らしながら気取っている。ホントは女子が飲むような赤や緑や青の甘い酒を飲みたいこともある。
この日はカウンター席ではなかったし、バーテンさんからの死角の席だったこともあって、周りの目を気にせずグビグビ飲んだ。
もちろん、連れの女性が飲みたがっているフリをして注文するわけだ。意味のない自意識過剰ぶりである。それがオジサマとしてのこだわりだから仕方がない。
そんな自意識から脱皮して派手な色のフルーツカクテルを堂々と注文できるようになりたいが、やはりヘンテコな姿だ。こっそり楽しむことも「小さな喜び」だ。
別な日、銀座のとあるバーで一息ついていた時の画像だ。グラスワインではない。ラムネだ。「バーでラムネ」。これはハッピーである。小さな喜びの最たるものかもしれない。
酒の美味しさも充分知っているつもりだが、ひとしきり飲んで疲れた夜に飲むラムネのウマさは格別だった。
ついでにちょこっとシュールな話をひとつ。
Googleのストリートビューの画像である。わが社の社屋の裏通りなのだが、画像を少し上に上げて拡大すると非常階段で黄昏れている男が映っている。
私である。なんてこった。世界に向けて私がサボっている姿が映し出されていた。「小さな恥ずかしさ」である。
小っ恥ずかしいったらありゃしない。
2 件のコメント:
ストリートビューに映っている・・・凄いですね!
この部分だけでもツイッターで投稿させていただきたいと思いました(笑)
笑える話ですよね!
でもまあこれも良い記念です!
コメントを投稿